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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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メロン射会

今日は近隣市の射会に参加。何時も射会や講習会で仲良くしていただいている支部なのでやる気満々で出かけます。やる気満々なのにはもう一つ大きな理由があってこちらの射会の景品はなんとメロン。東京の有名フルーツパーラーにも卸すメロン農家さんが多くあるそれはそれはお上品な土地柄で・・・。そんな景品につられて私も参加となった次第です。

カーナビを頼りに道場に着くと思ったより早く、会員さんが準備を始めたばかりです。しばらくすると弓友さんたちが集まってきましたので、受付をして準備。開会式の後、いざ試合です。

今日の私の結果
○○×○ ××○○ ×××○  6/12    順位決定の遠近競射にも残れませんでした。

一立目は、練習通りを心がけて引きますが、一本目は3時に、二本目は二の黒の星上、三本目は離れが崩れて9時に。四本目は8時の二の黒。
二立目は、一本目が12時に乗せて、二本目は6時、三本目は3時の二の黒、四本目はその左。
三立目は、一本目、二本目が6時に外し、三本目も9時の的外、四本目は10時に中りかろうじて止めた。

今日は12射皆中が一人で単独優勝。11中が二人いて遠近競射、10中も二人いて・・・と20位まで賞品を頂きました。私はさっさと片づけて応援に回ります。

一本一本の反省はあるとして、全体的には中て気に走ったわけでもありませんし、気持ちは坦々と引いていたので何処が悪かったのか良く分かりません。決して集中力がなかったり体が安定していなかったりした訳でもありませんでした。ただ同じ立の弓友さんからテンポが速かったとの指摘がありましたから、何か問題があったのでしょう。体に少し疲れがたまっていたのかも知れません。それできちんと会に納めて伸び合ってという心の余裕のある射が出来なかったのでしょう。練習通りにと心がけていたのですが、今日はまだまだ実力の無いことを知らされました。
それでも色々な支部の皆さんと楽しく過ごすことが出来て、とても楽しい一日でした。

メロンはいただけなかったですが、美味しいパンを参加賞のお土産に頂いて、それはそれで美味しい射会でした。
開催支部の皆さんと弓友さんたちに感謝です。

次回は教・錬士会の交流射会です。今日の反省をもとにぜひ頑張りたいですね。

ではまた。

『射道芸術の探修』 武市義雄 続

『射道芸術の探修』 武市義雄 を読み備忘録のつもりでその内容について記した。ただし「射芸の修行」に重点が置かれていたので本書の他の部分についてはあまり記すことが出来ていない。そこで今回は審査課題論文のテーマに関係のある部分を中心に記しておきたいと思う。


「無発の発について述べよ」
元来は、術技や心術面の秘伝の中から源流を発し、禅思想の影響によって禅公案の「未発の発」を取り入れ、更に哲学的な観法が加味されるに至ったものである。一方この流れとは別に元禄末期頃に森川香山という弓哲が現われ、神道思想を根底とした弓術一派が竹林系統の別流として誕生した。これが大和流で香山は開祖である。香山が「唯授一人」(唯一人に授く)として遺した『日本流神明射儀』に「此大事を射させんとて、推手は虎尾にさわるごとく、勝手は嬰児を抱がごとしといひ、或は、紅葉がさね、朝嵐、真の角見、高山に車をおす、寒夜に霜をきくなどといふのおしへも、心気のすはりをいさせん為也。其の心気のすはりを安定にせんと思はば、無発の射、無矢の発射をなすべし。」という記述がある。

森川香山の「無発の射」「無矢の発射」と唱えられた射道哲学が阿波研造範士の「無発の発」の思想とどう連がっているのだろうかという点は、私(著者)も判らない。しかし、阿波先生が心師と仰がれた梅路見鸞老師は「無影心月射義」の中で「不発の発」を論じている。森川香山は神道思想を中心に儒仏の思想を織り交ぜて大和流弓術を大成した。梅路見鸞老師は禅家の出でその思想背景は禅に発している。
阿波研造先生は神官職にあったこともあり、思想系統は二人の流れを汲んでいるように思う。


「射品射格の向上を図るためにどのような修練が必要か述べよ」
現代の弓界では「射品」ということが問題になる。「気品の高い射風」「露堂々としたる射風」「格調高く重厚な射容」「蒼勁枯淡の射品」「風格のある射相」とかこれらの語はすべて「射品」という概念の中に含まれる「観る人」の情感である。
五段以上ともなれば指導層に列する人士としての認許審査であるから、その品位が問われるのも当然で、「人の師たるに応わしい品位の有無」が判定認許の一要件となる。そこで正射正中の射業そのものの外に、何が問われているかということを深く省察してみる必要がある。特に「人間評価」の問題として「射品」とか「射格」ということをより一層深く掘り下げて哲究自省するところがなければならない。
射品評価を考える時、一定の「格付け基準」とか「上下の枠」のような具体的な物差しがあるものではない。しかも審査で不合格になったとしても「自分の否をどこにあるのか言ってください」と訴えることは出来ず、結局は本人自身が反求自省し出直すより救いの道はなく、その反求自省の器量に欠け自ら救い上げる力のない者はそこに止まるより仕方ない。そこで大事なのは「心の姿勢」の立て方になり、技の修練向上と共に「心」が錬られ「体」に備わりがついてこなければならない。自分で自分を見詰めて自分を錬り上げて行く気概をもたなければならないのである。「自分で自分の器量に磨きをかける」という心意気と情魂が、直ちに自分の「射品」「射格」の高揚に、ひいては自分の人間性を高める全人格的進展に連がっていることを、自分で見直さなければならない。

射品の錬成の対策として以下にあげる。
「心事(心から事(つか)える)する師のある者は、その師の薫陶を受けるよう、一層心を引き締める」
「師事するに足るような師を持たぬ者は、自分でその心になり、自律の道を行け」
「射道修練に哲学を持て。識見を養え。射道生活に表裏、光影をつけるな」
「日頃の稽古法を見直せ。競射技術の錬磨だけが射道ではない。百発百中の錬度をもつことは、必ずしも射の善たるものではなく、その外にもっともっと修すべきものがあることを識れ」
「独りを慎しむ心を忘れるな」
「無識無学の射に遊ぶな」
「射品というものは、造作造業の、見せようとするつくりごとや虚仮の仕業で飾れるものでない。虚と実ということを識れ」
「射品の本質は実の行より生まれ、誠を追求する心根より実りが出る」
「付焼刃より、しつけが大事。射品は庭訓から胎動を始めるものぞ」
「老犬馴らし難し。自律の心なく力と器量なき者は、長養叶わざるものと知れ」
「人の器は、鋳型にはめて造り上げるようなものではない」
「射礼の稽古を怠るな。礼射は身心技錬磨の最捷径の良策、これで実際的に射品の何たるかを自他共に学ぶのである」
「尊敬する先輩や先覚者の射風から、模索の方途と実際を観て学び取れ」

「射品」というのは外形的なことのようであって実は「心」に本源がある。外見を飾る助平根性は捨て分相応の身なりを整え、弓道人たる気品を内に貯え、露堂々たる風格と気高き心性を常に自ら養い、身に備えることを第一義に弁えることであろう。「自分の射に哲学的美学的感覚を植え込む心情から、射品が醸し出される」ことを深く認識することである。

「君、看よ、双眼の色、語らざれば、憂無きに似たり」


「気迫の錬成について」
「気迫」という言葉は「何ものにも屈せず立ち向かって行く強い精神力」の意である。堂々としてあたりを払う射容が、「射品」を決定する要訣であることは言うまでもない。そうした「気迫」とか「演技の迫力」というのはどこから出るのか。その根元を探りさらにその錬成についてどう考えるべきだろうか。
「気迫の充満」は「素養の充実から来る自信」と「強靭な信条」に発する。自己のもつ「射道修行に関する哲学」に根を張り、「安定したる心」と「自分の技術に対する不安なき心境」が生み出した境涯、これが自信の根元であり、これが陰となり陽となって「気迫」を醸成し、「演技の迫力」を創る。
「強靭な信条」を堅持することも「気迫」の源泉となる。「自分の射業はこうなんだ」という確固とした拠りどころをもって臨むのである。「未完成であるが、自分の持つ射芸の凡てを誠をつくして演技するぞ」という覚悟に立つことである。「自分なりに、自分はここまで修練に修練を積んで来た。天地の鬼神も、幽界・現世の先賢も、眼をすえて自分の射芸を照覧し給え」とでも言うように、自己の心中に内観するのである。これが気迫の根元をなすのであって、その場かぎりで俄か造りの虚仮の身振りや動静などで「迫力」が伴うはずがない。その錬成は、このような確信を持ち得るように日頃から自分自身で養うて行くのである。


「射行の修練が人間形成に及ぼす影響について」
弓道を修めるということは、射という行為を通じて、自己の身心に潜む未熟不備の隙を見詰めて、これを皆無に近づけんとする自己との闘いである。この「われに克つ」という修練が至難の業ごとであるが、それを念じつつ日々の稽古に励むという而今の修行の一瞬が尊いのである。「而今」とは過去、現在、未来のうち、過去から未来への転機の一瞬そのままが現在であるという観じとり方である。
実際の場面に想いを移すと、立居振舞の一瞬一事に、即ち、気おくれ、心気の動揺、妄想雑念、による心の隙や心の弛み、技の停滞遅速、体の不安定、構えの不備による隙などに自分の心眼を向ける。その一切一事に「自分の心眼で隙を咎める修行と稽古を積む」ということになる。こんな考え方で常に弓を稽古するなら、誰であれ、その人間性を向上することになるのではないか。
弓は至高の日本的心の表現芸術である。射は正に「人間形成の学道」であり、「終着点のない修行ごと」である。


以上今回は『射道芸術の探修』武市義雄著から八段、教士、七段の論文審査に出される課題に焦点をあて参考となる処を記してみた。読むほどに自分の弓道への取り組みを反省させられ冷や汗の出る思いであるが、このような教えに接することの出来ることは有り難い。
「気迫の錬成について」というのは審査論文に出ているかどうか知らないが、審査に臨む姿勢として大切な心構えだと私は思っていて、私自身も審査を受ける弓仲間にはいつも言っている内容であるのでここに記した。

さて、二回にわたって『射道芸術の探修』を読み記してみたが、改めて弓道修行の指針となる素晴らしい本だと思う。著者の武市義雄範士は私が弓道を始める前、昭和52年9月に亡くなっているのでお目にかかったことも無いのだが、本書を監修をされた福原郁郎範士は私が東京で弓を引いていた時分に何回かお目にかかったことがあった。小柄な先生だがそれこそ隙のない厳しい緊張感を身にまとっていたのを覚えている。
本書の中に私が通っていた道場の話題が登場し、安沢先生の追悼射会で「無心」という書を染め抜いた弓袋を記念品として出したことも書かれている。この本は私にとって縁のある本だったと読了してしみじみと思った。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

『射道芸術の探修』 武市義雄

『射道芸術の探修』武市義雄著を図書館から借りて読んだのでその感想を記しておこうと思う。この本は1979年に初版が、2001年に新装版が出版されているが、まだ入手していなかった。先日審査論文の「射品」について参考にしようと思い読んだのだが、内容がとても深いので何回も読み返している。そこで今回は本書の要旨を記して備忘録とする。

本書は著者がご自身の弓道を研鑽されるなかで得た要点や出会った資料を省察し著者自身の「射道哲学」を組み立てたもので特に射法よりも心法に重きを置いたものである。その意味において弓道初心者が読んでも果たして理解が十分に出来るかどうか難しいところがあるだろう。だが弓道の奥深く幅広い教えの一端でも知ることが出来るという意味で弓道に志す者は是非とも読んで欲しい本であり現代弓道の指針となる書であると信じる。

以下本文を参考にし一部写す形で要約してゆく。その一つ一つに引用であることを記さない。

現代の日本弓道は古来伝承の源流に根を持っているが、昔のままの受け取り姿勢であってはならない。現代弓道は射行、射技、体配等の修練の外、射品、射風、気迫、礼威の感覚、重厚性など身心を挙げての修行と「芸ごと」一切を総合した、美学的に高雅な芸術である。この身心を挙げて修練する姿勢を「修行」と観るがこれこそ「射道芸術の探修」である。弓歴を積むことでおのずと向上する技術よりも少しでも自分を伸ばそう高めようとする向上心が人間性を造り向上させることになりそこに弓道を習う本質がある。

「弓を習うということは自分の人間を創り直そうとする修行ごとだ」

将棋や囲碁に定石があるように弓道にも定法弓理がありこれを「射学」という。現代の弓道は昔の射法から相当に変遷してきているが根源的道理、心気の配り方、心得など心法の数々は哲学が含まれていて現代人も学ばなければならない。現代人の知性、科学の知識を加えて射学哲学を拡充させることを「新射学」と呼ぶ。

「人、学ばざればすなわち暗し」

射技、体配等修行の基底は「心法」の立て方が重要で、昔から修技の根幹は「心の姿勢」にありと言われてきた。初心の間は「学ぶ」(まねぶ)「見習う」「模倣する」でも良いが中級以上となればそれではいけない。
心法の基本を挙げると。
①「礼の心に徹する」という心構えに終始する。②「自律」「自制」「自敬」「自励」「自師」の心を定める。③「理」を重んじ、「理」に順う心構え。道理に外れて射芸とはならない。④「観法」を自らの心によって定めること。一心に悟道を思い念づる法を言う。⑤「無心」「夢想」の射境を拓く、自己との闘いに打勝つ心の構えを練る心法。

「弓道というのは、弓矢という道具を使って自分の人間を形成して行く悟道であり、学道である」

射芸の修行(修業ではない)は「心の姿勢」にかかってくる。ここでいう芸とは単に修練によって得た技術とかわざと言う意味ではなく、射業の芸術、「射という業(わざ)ごとの芸術的表現」を意味するものである。つき詰て言えば「射という技巧方式による美の創作表現」の意をもつ言葉である。

射芸修行の実際。その理念に基づき実技演習の場にあってはどうあるべきかを見る。まず、基本的な「心の姿勢」の在り方であるが、何の意識も加えずに心と体に躾込め、融け込ませなければならない。つまり「造って芸をする」というのではなく、演者の「人間」「人格」の表れとして自然に顕れ出るものが本当の「芸」であるとの観方に立って、自らを創って行く心根であらねばならない。そして演者自身で気づかぬところは、師事する人とか気を許し合った同志の者に見て貰って、その指摘を貰うというような謙虚な心を持たねばならない。
この姿勢に立って配慮すべきことは①「起居、立居振舞に一切の無駄を省き去る」②心気の「張り」を始終失わないという「習い」を身につける。③始終、気品ある動作に留意し「気韻生動」の心を失わぬこと。「姿勢端正」に保つことが大事である。④射道は武道であり、武であるからには、「逞しさ」「鋭さ」技の「冴え」切れ味の「小気味良さ」が生命となる。⑤見せんとする虚飾、作りごとを極度に嫌う。⑥「後見の見」という心を忘れてはならない。この言葉は世阿弥の訓える言葉だが、自分の後姿を見ている観衆の目に自分の目をうつして、自己を凝視することを言う。自分の射行姿をこの心眼で見詰める心を失ってはならない。⑦稽古の場に於いても機を求めて道場周辺を掃き清め衣類を着替え心気一新して演習し、心身を鳴らして置くことが切要である。

「射芸」が射の技であることは当然だが、「芸」という言葉を持ち得るには「美と理を実地に現わす手段」との謂が含まれる。真の意味で「人間の芸」とは心の作用を伴い「理に合った美意識を表現する手段」である。こうした考えに立って射芸の修練をするには一連の動作に心の作用(はらたき)が主体となっていることが必要で、心の裏付けのない芸の修練は真似事に過ぎない。模倣は「他人のもの」を真似ることであり、自分の「芸」にはならない。


『射道芸術の探修』では、射法や体配などの修練とともに心の育成が大切である事を重ねて説いている。しかも審査課題論文に私が試論を書いた「無発の発」と「射品射格」のテーマについてもかなり詳しく書かれている。ところが筆者は本書の終盤で「これはどうやら独りよがりの思い過ぎのようで、発展途上の生の弓人方には、道場稽古の合間などでは話しても通ぜぬ繰り言に過ぎぬのではあるまいかと、切に感じた」と書かれている。一見私はおやっっと感じ、これまで見識の深い教えを説きながらどうしたことだろうと思う。
しかし、これこそが著者の弓人に対する最大の示唆なのではないかと私は感じる。私たちは弓道の世界に接する縁を持った。技術を学び昇段試験に臨み経験とともに段位も次第に上がってゆく。技能の優秀な者は国体や各種全国大会などにも出場し名を知られるようにもなる。それは喜びであり楽しい事であるに違いない。
しかしながら、弓道に悟道の道があることに気が付き、それを求めようという自らの発心が起こらなければ誰が何を教えようとも学びの道を歩き出す事は出来ない。かろうじて道のあることを知っても発心の無い人も多い。発心がどのようにして生まれるのか、これを私は言えない。ただ、己の姿を見て深い反省を思い、もがき苦しむ中で藁をもつかむ思いで祈るとき発心の種が見えてくるように私は思っている。

今回この備忘録を記すにあたって『射道芸術の探修』を再度読み返した。とはいえ本書の骨格をつかむためにキーワードとなる言葉を探しながら急ぎ足で読んだに過ぎない。そこで目次によって私の興味のある処を示しておくと、「「離れ」の妙境と活箭の味」、「弓哲弓言注解」これは安澤平次郎範士の『射道精神抜萃』からの注釈。「無発の発」に関する部分では大和流開祖森川香山の「無発の射」「無矢の発射」や「無影心月射義」を編んだ梅路見鸞老師、そして阿波研造から安澤平次郎範士への流れを提している。他にも「先賢の遺墨に想う」「「射行隙なきこと」の意義」「射品の錬成策」「気迫の錬成について」など興味のつきない見出しが並ぶ。こうゆう本は手元に置いていつでも読めるようにしたい。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

弓道大会(隣の兄弟)

今日は隣の市の弓道大会に参加してきました。
朝、カーナビをつけて出発すると30分かからないで着くようです。思わず、えぇっ近い!とびっくり。いつも練習に行く所属道場は40分、もう一つの市の道場も30分程かかっていますから隣の市ですが近いところだったのです。そのくらい私の住む土地は弓道が盛んと言えるのでしょう。何せ徳川家康が農民にも弓を持つことを許した土地です。

その近いお隣さんへ国道一号線を走って向かいます。運動公園にあるとても使い易い弓道場は係りの方が立って駐車場への誘導を行ってくれますし、道場には大きな仮設テントが張られて休憩所が設営されています。公園の木々の下に椅子を出したりピクニックシートをしいている弓友さんたちもいます。私もお仲間さんを見つけて一緒に荷物を置かせてもらいます。
時間になって開会式、矢渡しをして試合開始。160人以上の参加で中学生、高校生の立の後私は早い組でのスタートです。

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今日の私の結果。
○○○○ ×○○○ ○○○○  11/12  単独優勝です。

一立目、射居に進み胴造りをし頭の中で「練習通り」と唱えます。昨日三時間ほど練習しのと同じように引くことを心がけます。一本目は星近く。二本目は二時の縁近くでカチンと音もしました。心の中で中りはしたが失敗したと思いつつ貰ったと感じます。三本目四本目も中りますが内容はあまりよくありません。

一立目が終わり11時頃になるとお弁当が到着しました。朝も早かったし皆で広げると混み合います。次の立の前にお腹も落ち着かせたいので早弁をすることにしましょう。
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二立目、Y女史さんに二回目も頑張ってと声をかけていただき私もそのつもりで射場に入ります。一立目の矢処が散らばっていたので引き分けに注意をし丁寧な射を心がけます。ところが一本目は二時の的縁に外れました。会が少し短く狙いが付いてから納めて伸び合うところが十分ではなかったのです。もう外せないと気持ちを入れた二本目は同じ二時で中ります。どうやら狙いが少し前のようです。お昼ご飯を食べた後で体のバランスが少し変わったのかもしれません。狙いに注意をします。三本目は十二時、四本目は星近くで中ります。せっかくY女史さんに応援してもらったのにとちょっと残念。強豪が多い大会ですから一本が重要です。

三立目、二立目から同時打ち起こしでマイペースで引いています。練習通りと心の中で唱えて気持ちを整えます。一本目は星に、二本目はその右下、三本目も同じところと中ります。四本目は外すことは出来ないと心に浮かんで来ますので弓倒しの後そのままの姿勢で呼吸を整え直します。前の方は射終わって退場しようとしていますが、自分のリズムを確認し練習通りのゆっくりした打ち起こし。引き分けを丁寧にしてでも心の中で中てるぞと思っている自分が居ます。七時に中ります。

私は立順が早かったので後はお仲間さんの活躍を見守るばかりです。二立目までで八射皆中の方はいませんが七中の方が何人かいます。競射もありますから弓をかたずけることなく、皆さんの射を見守っていると道場の方が「優勝決まったから納射の準備をしておいて」と言います。
試合が終わり順位を決める遠近競射になります。30位まで決めますから道場の中は賑やかですが係りの人が手際よく進めています。その中私は準備をし、三位になった方と介添えの確認をします。
納射は衆目の中緊張しないように動作を確認しながら行います。あまり上手ではないのは自分が良く知っていますから不作法にならないように注意します。甲矢は離れを失敗し的縁12時にのせました。乙矢は外すわけにはいかないので引き分けを大きくし詰め合いをきつくします。先生も見ていらっしゃいますから思い切っていきます。星の上中りました。ほっとします。

閉会式で優勝カップと賞品、先生の講評を頂いてお仕舞。
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今日の弓道大会は私には嬉しい試合となりました。こちらの支部のY先生は私が所属する道場に以前いた方でS先生を深く敬愛されています。私が当地に来た時から親しく声をかけていただきましたが私が東京で引いていた道場にも行かれたことがあったと話をされ私は大変嬉しく思ったものでした。そうゆう縁から私はY先生のいらっしゃるこの支部に親しみを持っているのです。S先生もそのような事情で大会にお越しになり優射賞などを選んだり楽しそうに射会を見守ってくださるのでしょう。
親しみ深い支部の弓道大会で優勝できたことに喜びを感じます。

支部の皆さん、一緒に大会を楽しんだ弓友さん、有難うございました。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

弓道大会(ホームグラウンド)

今日は私が所属する支部主催の弓道大会。昨日はその準備で朝8時半には道場に入り垜の整備や生垣の剪定、テントの設営など肉体労働を行った。でも支部長はじめメンバーの何人かは出席者の確認や景品の準備、お弁当やお菓子に参加賞の用意など何日も前から準備をしている。我支部の呼び物は毎年参加賞として出される釜揚げしらすと海苔だが、もっと大切なのは先生に会えるという事。当地近隣の弓人にとっては先生のいらっしゃる道場で弓を引くというのはかけがえのない事。今年も先生は出場者に名をのせておられたのだが、今朝引かれないことになった。90歳を越えた先生だから暑い日に無理をされないのが大事だが、先生は審査員席から一人ひとりをしっかり見てくださる。

朝7時半に道場に着いた私は的前の準備をしながら弓友さんたちの到着を待つ。受付の女性陣は名簿を見ながら会費の準備などもしている。
今日の私のテーマは先週の大会同様に練習通りの射が出来るかどうかだ。

開会式を行い係りの者はそれぞれの持ち場につき試合が始まる。私は的前担当だが、慣れた弓友さんが何人もいるので全く心配がない。

今日の私の結果。
○×○○ ×○○○ ×○○×  8/12  遠近競射を行い ○ 15位だった。

一立目は、一本目を9時に中てるがまだ体にしっかり納まっていなく不安が残る。確り狙って中った訳ではなかった。その不安が二本目の離れに出てしまった。三本目四本目はしっかり会で納め延び合うことを意識して良かったがまだまだ調子が出ていない。
二立目は、一立目の反省をもとに開きながら会にしっかり納めるように引き分けたがもう一つ納まる前に出て2時に外れた。そこで反省して納めを意識して離れを考え残り三本を中てる。
三立目は、皆中を狙う。ところが一本目が狙い過ぎて6時にカチンと外れた。これで二桁の的中は無くなったと思うとちょっと集中力が切れてしまった。それでも気持ちは中りを求めているから星近くに二本中てる。三本目は今日一番の離れだ。しかし四本目は今のを出そうと思ってしまい逆に離れが手先になってしまった。全く根性なしの不甲斐ない射だった。

それでもかろうじて遠近競射に残った。黒板を見ると12射皆中した2人から9中までで14人いる。私のいる8中も7人いる。前回の大会もそうだが私は遠近競射がちょっと得意だ。今回も星が空いていたので狙いをつけたら星の下に中った。もうお遊びだとガッツポーズ。

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15位の景品は台所洗剤。好きな弓を引かせてもらっているのだから家庭で使える景品は嬉しい。

今日の大会、私の自己評価は65点。前回が80点とすればかなり低い。一番の欠点は心のコントロールが出来ていない事だ。どのような状況にあっても澄ましが出来て普段練習で気を付けているポイントを確認し実行できないといけない。すこし慌ただしいからといって下手をうつようではまだまだ実力が伴っていないということだろう。

さて、今日の大会の最大の見どころは12射皆中の女性二人による射詰競射だった。一人はK女史で彼女もホームグラウンドだから朝から忙しく動き回っている。(だから私も言い訳は出来ない)もう一人はK女史の後輩のSさん。彼女も学生時代から全国大会で優秀な成績を納めている。霞的では中るのは当然と射詰競射はいきなり八寸的でやることに。ところが二人とも八寸的でも外さない。途中一度だけSさんが外し観客はK女史の優勝かと思ったがK女史も外した。その後はまた的中が連続し・・・。何回引いたかわかなくなるくらい。最後はK女史が外してSさんの優勝。時間もかかる射詰競射に遠近競射に変えてはという気持ちを持った人もいたかも知れないが、射詰をやり通した進行の判断も評価したい。おかげで参加者一同感心の射を見ることが出来た。

もう一つは先生の講話。大会終了時、各入賞者の発表を行ったがその中で先生が特別賞をOさんに差し上げた。その理由は会で14秒持ったからだと言う。そして先生の経験談が紹介された。まだ二十六歳の頃だそうだ。京都の大会に出場したが中らない。それなら会で持てるだけもってみようと頑張ったところズバッと二本中った。審査員の評価も高く称号を持たない六段だった先生は当時の京都大会の決まり事で七段に昇段させるという事になった。しかし安澤平次郎範士が諸先輩を差し置いて平六段が七段を頂戴するのはいかがなものか私の預かりとすると言い七段は取りやめとなり代わりに賞品をいただいたという。先生はこの京都大会の思い出を非常に大切に考えていてこれが先生が全国で活躍する切っ掛けになった出来事だったという。

この話は私たちは何回も聞かされている話なのだが、今日の要点は次の所にある。先生はよく会で頑張れと言う。頑張れと言われても何を頑張れば良いのかわからない。私も時々練習の時に先生に言われるが良くわからない。しかし先生は会で持っていればもっと柔らかく引こう、もっとこう納めてみようと色々なことが出来る。だから今日のような地域の競技射会で思う存分試してみろと言うのだ。なるほど練習通りに引ける事を意識して私も射会に臨んでいるが先生の話はさらに一歩進んで射会を利用して試してみろというのだ。私のは練習通り引いて中れば良かったという話だが、先生のは中り外れを超えた話だ。
先生の弓道の大きさはここにある。いつも中りを大事にしていて射会なんだから中ててこいと言うがその根底では中りを超えた気持ちの大切さを私たちに示し自分でやりたいようにやってみろと教える。私たちはそうゆう先生を慕って集まるのだ。

こうして素晴らしい射詰競射と先生の講話を頂いて今日の大会は無事終了した。
お越しいただいた皆さんに深く感謝したい。


おまけの話。
実は今日の射会で秘めた思いが一つあった。先週の大会で私と同中で遠近競射をしたTさん。きっと今回も皆中を目指してやってくるだろうと思っていた。実際一立目、二立目と皆中で来た。三立目は残念ながら皆中にはならなかったが、そうやって闘志を燃やしてくる弓友さんの胸を借りて競うというのも大変に楽しい。今日の私は二本も負けてしまったが射会で知り合った人をこっそり相手にして競うのは楽しいものだ。次回どこかの射会でまたこっそり競ってみよう。

おまけの話2
射会が終わり帰りがけいつも県大会などでお世話になっている道場の方から声をかけられた。私のこのブログを見ているというのだ。まぁ匿名で書いているけど射会や審査の事を書いているから色々突き合わせてゆけば分かる人には分かる。ブログを読んでいただけるのは正直なところ嬉しい。ただ何時も反省の弁ばかりであることと、こんな理解の低いところでと思い返す事が多いのが実情だからどうか慰みものと笑っていただける程度にお付き合いいただきたい。
でも読んでいただけるのは本当に嬉しいし、ご批判など頂けたならさらに嬉しい。有難うございます。

ではまた。次回の射会で。


テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ