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弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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円相・十牛図に学ぶ 4 (再録)

「弓道・・・円相・十牛図に学ぶ」の4話目。最終回です。

円相という言葉に思いをめぐらし、十牛図を頼りにして考えてきました。
文字通り、考えたのであって禅の教えからいえば、はなはだ恥ずかしいものです。
若輩の凡夫とお許しをいただきたいと思います。

さて、「円相」。
「弓道教本第一巻」「執弓(とりゆみ)の姿勢(P89)」の項に、「両肩を平らにし、肘を張らず、両手は相対し円相となり、体を正しくして腰を据え、心気を整え、伏さず、反らず、固からず、緩からず、従容たる自然体で、体と弓矢が一体となることが望ましい。」とあります。
執弓の姿勢とは正しく立った(もしくは座った)姿勢で両手に弓矢を持った時の姿です。

次に「円相」が出てくるのは「矢番え動作(P94)」の注に「矢番えのとき、体と弓が離れないように、円相に構えること。」とあります。

どちらも姿形についての記述です。
では、弓道における「円相」とは姿形について了解していれば良いことで、教本に書かれたこの2点において注意していれば良いことなのでしょうか?
私はそうは考えていません。「十牛図」を辿りながらその思いはさらに深くなってきました。


射法八節にしたがっていえば、執弓の姿勢から、射位に立ち、足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引き分け、会、離れ、残心と姿は変化してゆきます。しかしそのすべの姿の中に「円相」があると考えます。
足踏み、胴造りでは、射手から的を射抜いたさらに先を半径とした球をイメージします。私の場合、足の床下は半径ほど深くはありませんが、床下を感じるように努力し、頭の上はドーム型をイメージします。
弓構えでは「大木を抱えるように」と教えられますが、円相と同根同義でしょう。ただし弓構えで「円相」というと、外形的円をイメージするあまり、肘を曲げて円に見えるようにする初心者が多いことから、これを嫌うようですが、本来の「円相」の意味と体の使い方を教えきらない指導者の側にも問題があるといえます。
弓構え、打起しにおいても「円相」をくずすことなく行射します。
「引分け」ではさらに「円相」は重要なイメージにつながります。腰を扇の要として円をイメージしながら引分けてくるからです。
このように行射において、「円相」はいたるところにあります。
そして、最終段階の「離れ」において天地左右球体の中心に自らを見出すことになります。

もう一つ。私は入場から射位に立って行射し、退場するまでを半円と考え、退場してからの控えもしくは実生活を半円と考える事ができると思っています。少々拡大した解釈かもしれませんが、先の十牛図に照らして考えてみると、執弓の姿勢で控え、礼をして道場に入ります。「尋牛」です。修行(行射)を経て悟りを得、無我「人牛倶忘」を体現(残心)して後、「入てん垂手」の世界に至ります。道場から退場した後の世界を「入てん垂手」と考えてもよいのではないでしょうか。これがあって、はじめて弓道は「仁の道」という事が可能になるのです。

そうとすれば、弓道は最初から最後まで「円相」とともにあると言ってよいでしょう。
細かい所作の中に「円相」を語るのではなく、「円相」とともに弓道があるのです。

基本に基づいた射法射技の研修、礼に即した体配。たゆまない研鑽を経て自由を得たとき、「円相」とともに滅我が現れます。弓道はその全てをもって「円相」を具現するのです。


「円相」が頭の中で跳ね、私に「十牛図」を拠り所として弓道を考えさせました。
いったいどうしてこのような事がおこるのでしょうか。
実はこれこそが仏性であり、縁起なのです。
私の中に生まれた仏性は我慢しきれずに飛び出してきました。

私たちは時々何かに動かされるように仏性に出会い、縁を知ります。
さぁ、弓道と円相。私の中でどのように育っていくのでしょうか。
一旦は心に納め、見守ることとしましょう。

************************

「円相・十牛図に学ぶ 1~4」は2010年に書いたものです。当時はブログ「杣人のNuages」の弓道の項にあったのですが、拙いながらも読み返したくなり今回「杣人の弓道」に再録することにしました。読み返してみると頭でっかちの言葉だけのものに思えて恥ずかしいばかりです。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

円相・十牛図に学ぶ 3 (再録)

「弓道・・・円相・十牛図に学ぶ」を続けます。


8 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
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追い求めていた牛が消え仏性・悟り・真理といったものが、自分と一体であったことに喜びを感じています。すると、突然自分自身も消え、同時に認識していた世界も一瞬に消えてしまいます。滅我・無我。絶対的「空」がそこに広がるばかり。円相の図をもって表していますが、円ですらないといえましょう。「空」となった私たち。認識すらありません。

射法八節に法り弓を引いてくると、離れの瞬間が訪れます。会に入り無限の気持ちで伸び合っていると射手の意識を離れて矢は飛び出してゆきます。この離れの瞬間射手はゼロになります。
射技に拘泥し、中てようと的を意識したり、これなら中るかなと離れを作ったりすると正しい離れに出会うことはできません。たとえ的に矢が中ってもそれは求める射にはならないのです。弓道ではこの離れの瞬間の「空」「無」を体現するのです。
 

9 返本還源(へんぽんげんげん)
9gyuzu.jpg

ここに至って、また草木が芽生え鳥が歌い自然が生まれてきました。再生です。これまでの修行で自己を求め、悟り、仏性を探し求めてきて「無」に至ったのに、行き着くと当たり前の自然の姿が広がるのです。再生であると同時に、本来あるべきものがあるように現れたということでしょう。有相無為。

離れで空っぽになった射手。体も心も伸びあっています。矢が放たれた後も弓手は的へ勝手は裏的へ左右に伸び、足は地に根の生えたように吸い付き、背筋は天に伸びています。空っぽになった射手に次第に気が満ちてきます。残心です。
気合の満ちた残心を感じ楽しみながら、退場します。


10 入てん垂手(にゅうてんすいしゅ)
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十牛図の最後。入てんとは市場のことです。垂手はぶらりと下げた手。手には酒の入った瓢箪をもち、自由気儘な姿をしています。悟りを求め、自己を探して修行をしてきた末に、自他を超え自由自在な姿になる事が出来たのです。
しかも、目の前には童子がいます。童子はかつて仏門を志した私の姿であり人の世界です。悟りを得、求道からも自由になった今、人と交わり徳を広めてゆく菩薩の世界が始まります。「尋牛」から始まった十牛図は、「入てん垂手」で終わるのではなく円還していることを示し、修行によって得た喜びが人々にあまねくしみてゆくのです。

弓道を通じて経験する喜びは計り知れないものがあります。射法射技の研鑽や礼法にのっとった体配により道理を学ぶことも喜びです。経験者は自らの体験を続く者に教え道を照らし修行の手助けをするのも大切です。私も先生先輩から多くのことを学んできましたし、時にそれを伝えて指導することもあります。何時までも終わりのない道、繰り返しの道です。

弓道は「仁の道」と言えます。弓道の修行によって徳行を修め、それを修学の徒に伝えてゆく。つまり人の世界とともにあるということです。射位に立って的に向かうときは一人かもしれませんが、道場には仲間がいます。その道場は地域、社会の中、人の世にありますから感謝とともに社会に恩返しすることが弓道の道でしょう。その意味で、私は弓道を「菩薩道」と言っています。

道場での練習や射会に出かけたりすると多くの仲間と弓を楽しむ事ができます。そうゆう方のなかには、八十歳を越えてなお弓を楽しんでいる方も多く何時もにこやかでこだわりがありません。
当たり前なことですが壮健な射というわけにはいきません。体のあちこちは痛く、腰もまがっています。しかし弓を楽しんでいます。射会に集まり仲間と挨拶を交わし世間話を楽しんでいます。
私はこの大先輩達に接するとき、そこに明らかな「菩薩道」の弓を知る事が出来るのです。

次で最終回です。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

円相・十牛図に学ぶ 2 (再録)

「弓道・・・円相・十牛図に学ぶ」 を続けます。

4 得牛(とくぎゅう)
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牛に縄をうち、捕まえましょう。わずかに知ることの出来た仏性・真理は大変危うくすぐ見えなくなってしまいます。目を凝らすと見えていたものも、凝らすほどに見えなくなります。これは私たちが仏性に対峙しているから。自我が見えることを邪魔しているのです。

弓の練習をしていて思いがけず良射が出ると、狐につままれたように「何が起こったのだろう」と思います。そして今の射を再現しようと技術をもって取り組みます。しかし、どんなにやっても同じものは現れてきません。何故か。“思いがけず”というのが肝心なのです。射技をもって再現しようとする事は自分の意思の働きによるもので、自己・自我が存在します。これでは滅我の射から遠くなるばかりです。ではどうしたらよいのでしょうか。練習しかありません。ひたすらに練習を重ね滅我の射、「空」が向こうから現れてくれるのを待つしかないのです。


5 牧牛(ぼくご)
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牛は次第におとなしくなり、縄を緩めてもついてきます。仏性・真理に対峙していた自我を空なるものと知ったときそれは中でも外でもなく私たちと一体となり満ちていることが分かります。しかし、まだ安心はできません。「空」と知った「私」がいるからです。「私は悟った」と思った瞬間、妄執となって私たちに襲い掛かってきます。ゆるんだ手綱の先の牛を感じながら歩かなければなりません。

弓を練習するとき、私たちは一つ一つの動作を確認します。射法八節という型を学び、呼吸の使い方を意識し練習を重ねます。練習が習熟してくると、次第に射法八節の型も呼吸も意識しないで出来るようになります。しかし「意識しないでも出来る」と思った瞬間、「意識」が鎌首をもたげ迷いが表れだします。もちろん漫然と引いているのではありませんがこの「意識」を忘れる事が重要です。技の働きを意識することを捨て「私」を忘れたときにそれは自分のものになり一体となるのです。


6 騎牛帰家(きぎゅうきか)
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牧牛によって牛との関係が築かれ、牛の背に乗れるまでになりました。この一体感を楽しみながら村へ帰りましょう。仏陀も悟りを開いてなお思索をつづけ、悟りの内容を整理したといいます。

滅我の射が実現すると、射がとても楽になります。弓を執り矢を番え引いて離れる。あるがままにあるだけです。足踏み胴造りは自然に立っているだけ、打起して引き分けてくる姿はどこにも力が入っていないようです。心の働きもことさらに思い定めることがありません。
「無心 無策 無作為」といわれる境地でしょうか。


7 忘牛在人(ぼうぎゅうそんにん)
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家に帰り着き、牛をつないで気がつくと牛は消えていなくなりました。自己を探し、悟りを追い求めることすら忘れてしまった清清しい気持ち。仏性、悟り、真理といったものが「私」の中に在り一体となっているのです。

弓を執り射位に立つと的と向き合います。的は遠くはなれていますが、練習を重ねると距離を感じなくなります。的はただそこにあるもの。次第に的を意識することが無くなります。上手く引こうとか中てようという気持ちもなくなります。しかし、弓道ではいつも的があり消えることはありません。射手は目の前にある的を見、心に映る的を見てその強弱大小を自らに問いながら、的に囚われないための練習をするのです。



続きます。

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円相・十牛図に学ぶ 1 (再録)

ある勉強会の席で円相について話題になった。
いわく、「円相という言葉が弓道教本に出ているのは執弓の姿勢に関してであり、弓構えで円相という言葉を使うのはよろしくない」というもの。私はこの考えに違和感を覚える。
理由として、まず“本に書いてあるのが正しくて書いていないから違う”という趣旨の発想は自らの思考研究をとじるもので、いかにもお粗末なものだと思う。本に書いてあろうがなかろうが、基本にたちかえり正しければ、大いに研究議論するのがよろしい。そこから新しい発見があり発展が生まれる。
つぎに、“執弓における円相”の姿形は筋肉の働かせ方、気構えのありようの両方において、執弓にとどまるものではなく、射場への入場からはじまり、行射の運行、退場にいたるまで続いているものである。円相も続いているのであるから、弓構の場面で使っても問題はないと考える。
さらに、“円相”とは見た目の姿形のことだけではなく、心のあり様をも言い示す言葉である。そう考えてゆけば、“円相”は弓道のすべての場面で使ってよい言葉とであると言えよう。

以下、十牛図を手掛かりに円相について考えてみた。

***************************

先日から私の頭の中で、円相という言葉がうごめいています。
禅画に円相図というものがあります。書とも画ともつかないのですが、
始まりも終わりも無い円。
空を表し、悟りや仏性、宇宙などを表現していると言います。

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(白隠 慧鶴 はくいん えかく1685年~1768年)


弓道を習い始めると、円相という言葉に出会います。
円相図から転用されたものと考えられますが、
円相図で有名な仙崖や白隠は江戸時代の人。
弓道で円相が言われるようになったのは何時のころからなのでしょうか。

この円相、十牛図の第8図「人牛倶忘」にも登場します。

十牛図は牧童が牛を探し求める姿を描いたものですが、
自己や悟りの探求、真理を求める禅画で、象徴画としては素晴らしいもの。
弓道の円相を考えながら、十牛図を辿ってみたくなりました。

さぁ、旅の始まりです。

「弓道…円相・十牛図に学ぶ」


1 尋牛(じんぎゅう)
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私たちは何時も何かを求めています。仕事や学問での成功であったり、人に認めてもらいたいという思い。友人や家族を持ち尊重されたいという思い。これらは、私たちが不完全であることを自らの中に見出しているからに他なりません。
仏道に志しその答えを求めたり、生き方を模索しようとすることを発心といいます。
これは、自分の意思で考え行動するというよりも何かに導かれるように、もしくはつき動かされるようにして始まる仏門への額ずきです。

弓道を始めるとき、人それぞれにきっかけや動機があります。しかし、やはり発心と同様弓道に引き寄せられる「私」がそこにあることを知ります。道場の門をくぐるとき、それはまさしく「尋牛」なのです。


2 見跡(けんじゃく)
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牛の足跡を見つけます。修行を通じ指導者の教え書物をもとに思索し分かったと思える段階です。
「色即是空 空即是色」と言葉を覚え進めば「宇宙と我は一体」などと考えます。でもあくまで観念的、言葉による理解です。

弓道でも、技術を覚えある程度引けるようになると「的と一体」とか「弓矢を忘れる」などということを言い出します。でもまだまだ言葉に踊らされています。的に向かう心は騒ぎ、これでもかあれでもかと七転八倒しながら弓を引いています。


3 見牛(けんぎゅう)
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牛を見つけました。修行をしていると、突然にふっと「分かった」と感じる瞬間が訪れます。その瞬間は自分が空であることを確かに感じています。でもそれは危うく不安定なものです。
宗教体験以外で喩えていえば、アルキメデスがお風呂に入ってあふれる水をみて「ユレイカ」と叫んだ瞬間。語学を学んでいて、聞いたままに(頭で翻訳しないで)言葉が理解できた瞬間。そんな時の感覚でしょうか。

弓道では、あるとき思いもかけず良い矢が出る事があります。本人が意識して出来たのではないのですが、周りの人も目を見張るような射が現れます。射手本人は何が起こったのかもわからないうちに矢が放たれ的に中っているのです。その瞬間、射手は「空」になっています。そして、「今のはどうして出来たのだろう」と再現を願いながら修行を続けるのです。

続きます。

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スポーツ祭弓道大会

10月1日、最初の日曜日。市のスポーツ祭弓道大会があり、参加してきた。受付で500円を払い大会次第をもらうと第71回とある。歴史を確認したわけではないが戦後72年と言われている今年だから終戦後すぐに始まったスポーツ祭なのだろうか?でもそうするとGHQによる武道禁止の時期と合わなくなる。少し調べてみなくては・・・。

渡された参加者名簿を見ると、高校生が6高校106名、中学生が1校5名、そのほか一般社会人が59名の参加だ。
高校生は12人立ちの道場を3人立ち5射場にして使い、私たち一般は中学生と一緒に6人立ちの道場で試合開始。昨日の練習を試合でも実践できるかを試す。

今日の私の結果。

×○○○ ○×○○ ○×○×  8/12   

私の立は中学生のすぐあとで心の準備も整わないままにすぐ始まった。それでも心の中で練習通りと唱えながら大三をとり、弓手と馬手のバランスに気を配りながら丁寧な引き分けを心がける。
一立目、1本目は会に入ってからもう一つ伸びが足りないまま離れが出て6時に外す。その反省を次に活かししっかり伸びあって三本を入れる。
二立目、1本目は気持も落ち着いてしっかりと収め伸びて中るが的が動いた。2本目を引き分けるが的が動いたのを意識し1本目と反対側に中てようと余計なことを考えてしまう。普通ならそれでも中てていい気になるのだが、今日は会に入った瞬間に私の心の中で的が揺れた。自分でも何が起こったのかわからない状態でグワーッと目前で的が動き矢が三時に離れた。私の引き分けで緩み離れが起こるのは考え難いのだが、結果はそうなのか?
3本目、このまま引きづってはいけないので、少し間合いをとって呼吸を整え確りと会を確認し中てる。4本目も同様にして中る。

中学生は午前中に三立を済ませ、射詰競射で三人が競い、女子が中てて優勝。残る男子二人は遠近競射を行い、2位、3位が決まる。

昼食をはさんで三立目、食後体の感じが変わるのを警戒しながらも練習通りと心がけて引く。1本目は9時の的ふちに中る。2本目、狙いを変えると良い結果がないので同じように引くと1本目と同じところ、でも的外に外れた。3本目は少し気をつけて星に中るが、4本目は3本目と狙いを一緒にしたが少し押しが弱かったのだろうか12時に乗った。この回射に不満はなかったが、中らなかったのは悔いがある。

結果的に11中のAさんが優勝、10中がいなくて9中の5人が遠近競射で順位を決めた。三立目を皆中しておけば2位になれたのにというのは後の祭り。今週も練習をして日曜日の試合に再度挑戦だ。



役員の方たちが用意してくれた直虎ちゃんをプリントしたハンドタオルを参加賞にいただき、少し居残り練習をして今日の試合を締めくくった。

一緒に引いてくださった方、役員の方、有難うございました。

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