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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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吹雪の中の練習

西日本に大雪をもたらした今日。当地でも粉雪が舞う天気となりました。
そんな日ですが土曜日は貴重な練習日なので午後から道場に出かけます。道場を開け一人練習を始めますが寒さのせいか体が思うように開きません。それでも10射ほどしたころから調子が出てきます。

30射ほどしてちょっと休憩。空は薄い雲なのですが粉雪が強く舞いだしてまるで吹雪のようになってきました。矢道に降りてみると北の空には厚く暗い雲があってちょうど道場の上までかかっています。道場の中から見る空は青空なのに・・・。
珈琲を飲んでしばしの休憩の後、練習を再開。

体の開きは出来ているのですが引き分けに少し力が残っています。工夫して弓手と馬手のバランスに気を付けて引き分けてみるとどこにも力の入らない軽い状態で会にもって行くことが出来、離れもとても軽くキレが良い。あぁ上手く出来たなと今出来たバランスの取れた引き分けを再度心がけますがなかなか思うようには出来ません。大三に行くときに弓手に渡しながら馬手肘とのバランスを均等にして体全体で受けるようにするのですが、わずかなバランスの違いがなかなか難しいのです。

そんな練習を二時間ほどしたらかなり体が冷えてきました。裏地にフリースがついた新しい胴着を着てその上に着物も着て温かくしているのに・・・。

そろそろ今日の練習はお仕舞にしようと思いながらまた射位に立ってしまいます。
誰もいない一人練習。思いついて矢声を出してみました。引き分けてきて離れの瞬間にやーとかおぅーとか声を出すのです。
これなかなかいい練習になります。声を出すのに気を取られるのか体がぶれることもなく弓手は全く動かず馬手はすぱっと大きく飛びます。あまりに離れがいい感じなので何回も矢声をかけた離れを試してみます。
でも、会があまり持つことが出来ません。私の場合引き分けで額を過ぎるころから息を吐きだして会では薄く吐いているか意識していない状態にしているのですが、さて矢声を出すときには息を吐きながらという訳にもいきません。自分でもどうやっているのか判らないのですが、矢声を出そうとすると会は短くなってしまいます。一度意識して息を吐きながら矢声を出そうとしたら出せませんでした。どなたか経験のあるかたの教えを受けたいですね。巻藁射礼をなさる先生に尋ねてみましょうか。

そんな変わった練習もたまには取り入れて工夫をしています。

ではまた。

今年の課題

今年の練習のテーマは何にしようかと考える。いや実はすでに決まっていてそれをどう研究してゆこうかと考えているのだ。

昨年末に六段に昇段することが出来たが審査員でもあり私の先生でもあるN範士に挨拶にゆくと厳しい言葉をいただいた。その言葉の意味をまだ理解出来ていないのだが、合格した喜びは15分ほどで消えた。どうしようもない悪癖の射から脱しようやくいただいた六段だがいかんせん長くかかりすぎている。私にのんびり楽しむ時間はない。自ら次の課題を定め稽古を積まなければならない。昇段昇格という話でいうなら教士の審査が次の目標だ。だが最近受審規定が変わり教士は六段が受かってから1年は受けられないようになった。ならばその間に徹底して課題に取り組もうと考える。

私の定めた課題は弓手の手の裏の研究と息合を肚に落とす研究の二点だ。

射が息合で行われるのは自明の事でありそんな事も出来ていないのかと笑われるかも知れない。だが息合は難しい。射礼研修や審査に向けての練習で入場から体配をしっかり意識してやる時はしっかり息合を意識している。普段の練習、行射でも射法八節に沿って自分なりの息合を確認したり他人の教える息合を試してみたりする。しかし肚に落ちた息合とそれが離れにどう作用するかを意識的にコントロールするのは容易ではない。武道の修練では意識して練習したものがやがて体にしみ、意識が無意識になるまでやってそのうえで動きにつながるようにする。私の場合まだまだ肚に落ちるのも確実ではない。
かといって全く出来ていない訳でもないだろう。体配の息合が自然に整い射の運行のどこにも無駄な力を感じず静かに収まってゆくとき呼吸も無駄なく行われ殊更に意識せずとも体全体にしみわたっている。この時丹田にすぅーっと落ちる息合を感じる時もあるし硬くしたはずの肚も忘れて体が軽くなっている時もある。どうゆう状態が良いのか私にはまだ判らないがいずれにしても息合が射にしっかりと伝わる。

課題はこの息合をきちんと私のものとして理解し必ず出来、そして意識しないでも出来ているように修練することだ。時々あぁ今のは上手く出来ていたなと思っているようなレベルではまだまだである。

もう一つの課題、弓手の手の裏の研究は長年の私の課題である。四段ぐらいの時は弓がよく落ちるので悩んでいたが特に手の裏が悪いと言われたことも無かった。弓を強く握ったりもしなかったが逆に角見を強く意識したこともなかった。もともと日置流が角見をよく言うのに対し正面打ち起こしの角見の利かせ方は違うと思っているし、正面打ち起こしの場合引き分けて来た時にすでに角見は利いていると考えている。だから本来ならば押し切れば角見は充分働くはずだと思っている。角見を利かせようとして手の裏が崩れる人を見るが道場のS先生は取懸けから残心まで弓手の手の裏が外形上は全く変わってないように見える。そうでいてきちんと角見も働いているのだ。

ところが私の矢の頬摺羽は摺れて傷んでいる。これは恥ずかしい事だ。矢摺籐も傷む。下手な弓引きほど道具を傷めるのだ。
そこで今年は今までの考えを一旦横に置いて(決して間違っているとは思っていないが)自分の弓手の手の裏と角見の働かせ方を研究しようと思った。決して私の矢勢は悪くない方だがもっと鋭い矢勢を出したいとも思う。

この二つの課題に取り組むにあたって読み始めた本がある。『弓道研究 正法流精義』という吉田能安の教えを伝える本だ。すでに『正法流弓道いろは訓―吉田能安先生の教え』や『正法流入門 弓の道―武道としての弓道技術教本』も読んでいる。今回の『弓道研究』も具体的に要点が書かれていて非常に興味深い。吉田能安といえば握る手の裏といって兜も射貫く矢勢の手の裏を考案し阿波研造をして大射道教の手の裏はこれにしようと言わしめた人である。以前講習を受けたH範士も握る手の裏を10年研究してようやく人に話せるようになったと仰っていた。私もH範士に倣いこの手の裏を参考にしてみたいと考える。

さて、今日は引き分けの工夫について練習をしてみた。本の中に「大三の位置にある弓を会の位置に下げて行くのではなく、自らの体を上に伸ばすことで、大三の位置にある弓の方へ体を上げて行くように引取ることを教えられたものである。」と書かれている。私も以前引き分けが上手く出来ず苦労したことがある。手先で引いてしまうのか矢が平行に降りてこない。弓手と馬手の引き分けるスピードの差かとも思って見た事もあるがどうも納得がいかない。
引き分けが平行で均等に降りてこないと会で骨の納まりが悪くしっかりした詰め合いと延び合いをすることが出来ない。さらに言えば大三で整えた弓手の手の裏と馬手のカケと弦の関係も引き分けで変わってしまう可能性が増す。つまり引き分けは手の裏の構成にも重要な影響があるのだ。

そこで今日の練習では大三で整えた形を開きながら降ろすのではなくそのまま左右に開くだけと意識した。もちろん外形的には体に近づいてくるのであるが体を上に伸ばして矢に近づけて行く感じである。この時重心の移動も大切ではあるが今日はそのことは置いて弓手の研究だけを意識した。
この引き分けをすることで弓手も馬手も形が変わることなく矢も平行を維持したまま体に近づくことが確認できた。さらに弓手の手の裏は的方向ではなく的より前に押しながら体に沿ってくるから会の状態でもその働きは変わらない。もっとも大三の位置から会の位置では当然的に近づいているのであるがそれでも的の中央に押しているのではないと思う。それが離れで弦が矢を押し出しながら弓に戻ってゆこうとする働きと角見の働きによって的中央に向かって矢を飛ばせるのだろう。
この弓を押す方向については、『弓道研究』にも弓手が深く入れてはいけないとも書かれている。また以前講習会で講師の先生から会で私の弓手が入りすぎているので少し控えるようにと指摘を受けたことがある。この時の私は会と残心とで弓手の形を変わらないようにするため手の裏を入れて肩根から押し開いていこうと考えていたのである。

こうして課題を決め取り組むと練習が非常に楽しい。今日は道場で私一人の時間が長かったので一射ごと試しながら練習をすることが出来た。仲間と一緒の練習も良いが時には一人で課題に専念する事も大事だ。
日々の練習では毎回今日の課題というのを意識して練習をする。漫然と引いても良い練習にはならない。私は今年一年の課題を弓手の手の裏と肚に息合を下す研究と決めた。しかし今日の練習のように引き分けが手の裏に重要なことも発見としてあるのだから課題研究のために色々なアプローチが必要なのだろうと思う。その様々なアプローチから何かが見え統合されて私の射が作られてゆくことを期待している。

ではまた。

追記)

翌日道場で練習を始めようとしているとS先生がいらした。今思うところの射を見て頂いてどう仰るのか。
先生は開口一番「京都は申し込んだか。」と仰る。これは京都大会に出ろという話だ。私がまだ申し込んでいないと言うと「中てればいいんだから」とこともなげに仰る。先生にこう言われたら行くしかない。
行射を始めると、手の裏を柔らかくしろといつもの指摘。近くに来て見たり離れて見たりしながら「手の裏は悪くないからそれでいい」と。しばらくして馬手を鋭くするようにすれば弓手がもっと楽になると言われたので馬手に意識を強くしカケの残心を心がけるとその方が良いと仰る。このカケの使い方は今私が研究している使い方なので少し心強く思う。
そんな練習を上手くいったりいかなかったりりながら先生に見ていただく。心から嬉しく幸せな練習だ。
その後お茶を飲みながら久しぶりに先生と弓話に興じた。吉田能安の話もする。

弓を引き、先生と弓の話をする。これほどの幸せがあるだろうか。私は本当に恵まれていると思う。


テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

吹雪の中の振袖

一月十五日。二、三日ほど前から全国的な範囲で寒波が来ている予報。新潟や東北の豪雪地帯はもちろんだが西日本でも雪が積もっている映像が流れていた。センター試験という受験生には大切な日でもある。

そんな日に私たちは京都に出かけた。一月十五日。弓引きならだれもが知っている三十三間堂の大会が行われるのだ。
通し矢の歴史にならい遠的大会が開催される。正式名称は「三十三間堂大的全国大会」と言う。振袖姿の若い女性が弓を引く姿をテレビで見た事のある人も多いだろうが、二十歳の成人を祝う弓道では珍しく華やかな大会でもある。
昨年、道場の先輩に皆で行こうと誘われ普段あまりやらない遠的の練習をするようになった。

朝、駅に集合し仲間と新幹線に乗り込む。大会に出る人6名、見学の人3名の9名の団体だ。京都へ向かう車窓からは昨夜降り積もった雪が見え西に行くほどにその雪が深くなってゆく。名古屋を過ぎ米原のあたりではもう一面真っ白な風景だ。
乗車した駅では70分ほどの遅れが見込まれると電光掲示板で知らせていたが実際には30分の遅れで済んだ。日本の鉄道の技術力はやはり凄いのだ。雪の中保線の仕事をする人や遅れる列車のダイヤ調整、乗り継ぎなど人間が直接やらなければいけない仕事は沢山ある。きっと大雪の中列車を走らせる人たちはやり遂げた時にちょっと誇りを胸にやったぜ!って思うのかも知れない。

京都駅に降りるとタクシー乗り場へ向かうが長蛇の列。予約タクシーは何台か待っているがなかなかタクシーが入ってこない。仲間の女性が予約タクシーの所に話を聞きに行ったところへワゴンタクシーがたまたま通りかかり停めると乗車可能だという。弓を持った六人が乗り込み、後の三人はバスで向かうことになった。
三十三間堂は駅からも近く、京都のタクシーは観光客に慣れているから話も上手い。あっと言う間に着いた。

会場は弓を持った若い男女であふれている。掲示板で自分の番号を確認し受付に伝えるとゼッケン番号と手ぬぐいなどの参加賞をくれる。それをもらって選手控えのテントに向かうがあまりの人の多さに途中で引き返しお堂を挟んで反対側のお庭の方に陣取ることとした。朱色に塗られた回廊は屋根もあり足元もコンクリートだからぬかるむこともない。こうゆうのは経験者についていくと良い。

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午前中は成年男子(889名)、成年女子(940名)、午後は2時ごろから称号者の部(242名)。時々アナウンスで引いている番号が知らされるので頃合いを見て準備し控えに向かう。しかし時折強い風に雪が舞い足元はぬかるんでいるのでしばらく屋根のある処で待って様子を伺う。引き終えた振袖の女性がにこにこしながら帰ってきたり草履に足袋の男性が足元を泥だらけにして戻ってきたりしている。着物や袴はレンタルなのだろうが、雪に濡れた着物はどうするのだろう。洗い張りするとしてもとんでもない枚数だろう。化繊の着物で洗えるのかも知れない。

カメラマンも多くいて弓を引いている写真も撮っているが境内を歩いている振袖の女性に声をかけては写真に収めている。撮った写真はどうするのだろう。住所を聞いて送ったりするのだろうか?成人男女には一生に一回の記念だから楽しい思い出だろうが。

さて順番が来て控えに並んだらうまい具合に雲が薄くなり雪が止んできた。的が称号者の大きさに替えられ、コートや弓の雨合羽を外し棚に置かせてもらう。懐に入れていたカケをつけ射場に入る。私は三人立ちの真ん中、係りの人が始めてくださいと言うので取懸けるが、前の女性は堂々とマイペース。ゆっくり打ち起こしているので私も追い越さないように続いたが、私の後ろの男性は私の打ち起こしを追い抜いて引いて12時に外した。私の甲矢は的の真ん中めがけて飛んでいって中った。
次の乙矢も中てれば土鈴がもらえ決勝にも進めるので気合を入れたらそれが良くなかった。矢は10時の的の外、わずかに外れてしまった。残念だが練習の事を思い出せば甲矢一本でも中ったのは私には大満足。

ゼッケンを返して矢が戻ってくるのを待って仲間と道具置き場へ戻る。着替えて道具のかたずけをしているとそれぞれ終えた仲間が帰ってくる。残念ながら誰も決勝には進めなかった。

決勝を見もせず仲間が泊まるホテルに向かう。皆は一泊し京都観光をして帰るのだが私とパートナーさんは仕事があるから帰らなければならない。でもその前に夜の宴会だ。
時間までお土産を買ったり、駅で新幹線の遅れを確認したりして時間をつぶしお仲間さんが予約してくれた居酒屋に行く。弓仲間と宴会をするのは久しぶりだからとても楽しみ。しかも日本酒が40種類も飲み放題だという。さすが京都!
宴会は盛り上がり2時間のコースだったが私たちが帰ったのが8時半。30分過ぎていた。

帰りの新幹線も雪で30分遅れていたが気持ち良いお酒のせいで全く気にならず、ご機嫌で帰宅。
かくして初めての三十三間堂大的全国大会は雪の京都で無事終了したのだった。

ではまた。

おまけ)
これを書いている今頃、一緒に行ったお仲間さんたちは下賀茂神社や酒蔵を見学していることだろう。またお土産話を楽しみにしたい。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

年初めにやっちゃった 

明けましておめでとうございます。

今年の練習はじめは5日から。年末の25日が最後だったから10日練習していなかったことになる。練習は心を込めて開く射を心がけよう。
今年は審査を受けることが出来ないが、その替わり目標をもってしっかり練習することに心がける。年末に川村範士をお招きしての講習会で手の内の指摘があったので今年は弓手手の内の研究をしよう。もう一つは呼吸の修練。肚をしっかり意識し気息が納まった状態で離れが来る射を研究しようと思う。とても一年で完成するようなテーマではないが毎回の練習で心がけていれば何かが見えてくるかも知れない。

そんな思いを胸に道場に出かけた。先輩のK女史が引いていたので新年の挨拶をして練習を始める。
何射か的中が続いたあと、ちょっと矢処が狂いだして妙な空気が漂いだした。矢処が狂いだすというのは決してバラバラに飛ぶという事ではない。自分の狙っているところと意図しないところに矢が集まるという事で何か引き方に問題があるのだろう。
同じところに外れたりしてなかなか修正が利かない。

そして、とうとうやってしまった。三時に外れた矢に乙矢が中たり的の前にはじかれた。

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戻ってきた矢は爆裂したように開いていた。見ると筈は割れシャフトの中に押し込まれている。弾かれずに乙矢が甲矢に刺さったままなら継矢という状態で、珍しいので飾っている人もいるくらいだが私にそんな趣味はない。ただ乙矢が甲矢に中り矢を壊しただけの話。出費がかさむ話だ。
実は昨日も筈を打ってカケさせていた。弓具店に筈を買いに行かなくてはと思っていたところだが、今回の筈打ちでシャフト替えをしなければならなくなった。自業自得だ。

そんな正月の練習では帰省した仲間がお土産を披露してくれる。

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九州の福岡にある石村萬盛堂の鶴の子というお菓子。私は初めていただいたのだが、マシュマロのような生地の中に黄身を模した餡が入っていて美味しい。パッケージは見た記憶があるのだが、どうして食べた記憶がないのだろう。

そして隣にあるのはひよこ。

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ひよこと言えば東京のお土産というイメージが強いが、なんと福岡に本社がある吉野堂というお店。
だから包み紙にはちゃんと福岡の住所が書かれていた。

道場でいただくお土産は楽しい。ごちそうさまでした。

それにしても矢を直しに弓具店に行って昨年お世話になったお礼を言い、便利なカレンダーをいただいてこよう。

では今年も皆さまよろしくお願いします。

おまけ)

連休3日目の9日、道場で練習していてふと思い出した。道場には弓具店の小物が置いてありお金を払って利用することが出来る。弦や矢尻、筈などがあってそれぞれ値段が書かれているのでノートに記入しお金を払うシステム。富山の置き薬と同じシステムだ。シャフトまで壊れた矢はどうしようもないが、筈が欠けた矢は筈を交換すればよい。探すと2015のシャフトに合うプラスチックの筈があったので50円で購入。欠けたままだと矢こぼれしたがこれで安心だ。
シャフト交換はいくらかかるのだろうか。何ミリかのずれで大きな違いだ。弓道は下手な者ほど出費がかかるという反省。

大掃除

道場の大掃除に出かけた。毎年色々な思いを抱えながらやってきた大掃除だったが、今年は昇段したこともあり気持ちが軽い。8時半、道場に着き駐車場で着替え長靴を履いているとシャッターが開く音が聞こえる。
挨拶をして垜に向かうとすでにK女史が崩し始めていて私の顔を見ると「良いところに来た。蛇大丈夫?」と聞く。「苦手ですよ」と答えたが見ると垜の中に茶色くとぐろを巻いたものが見える。「小さいから大丈夫です」と言って周りの砂をスコップで削り取り出そうとしたらトカゲがポロリと出てきた。もうすっかり冬眠状態らしく動かない。K女史も恐る恐る見ていたのが安心したようで、「穴を掘っておいたからそこに埋めて」と私に指示を出す。用意が良いなと面白く思いながら先輩の指示に従い小さな穴にトカゲを埋めて事なきを得た。

そうこうしているうちに会員があつまり男は垜や生垣の整理草取りと自然と役割が分担されとりかかっている。女性陣は道場の掃除。最近弓道教室に入った中学生もきゃらきゃらと楽しそうに動き回っている。
教士の二次試験が行われている東京の特別審査の話や先日私が受けた講習会の話題などおしゃべりをしながらの作業は楽しい。

昼前には大方の作業が終わり皆で車座になってお弁当をいただく。風もなく日差しが温かく12月なのに暑いくらいの陽気だ。バナナやお饅頭の差し入れもあって賑やかなお弁当。
S先生からニンニクを頂戴した。

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青森のニンニクなのだそうだ。先日私が受講した講習会のK先生がお土産に持ってきたのだろう。K先生はS先生の弟子だ。講習会での講話では昭和40年高校生になって弓道をやろうと思ったが学校に弓道部が無く町のお寺にあった道場に入門した。そこにS先生がいらしてこうゆう弓引きになろうと志を持ったという。それ以来弓中心の生活だから家族にも不自由をさせたという事もおっしゃっていたが、50年S先生を慕い師弟関係を築きながらお二人とも選手権などで歴史に残る弓を引いてきた。私たちはもちろん家族の方周りにいらっしゃる方は先生の生き様姿勢に身が引き締まる感じを得ただろうし感動もあっただろう。志を持って生きる人と接することで人は学び成長する。ご家族は嬉しくまた誇らしく思ってらっしゃることだろう。
話は少し古くなるが、S先生は安澤平次郎範士の弟子だ。安澤先生は阿波研造の弟子で大射道教を掲げて東北を中心に北海道にも弓を教え歩いていた。S先生も同じように安澤先生に従って歩いた経験を持っていらっしゃる。今、K先生は講習会や審査のために全国を飛び回っていらっしゃるし、S先生もご高齢にもかかわらずやはり講習会に行かれる。時代は変わっても先生方はご自身の学ばれてきた弓を伝えようと真剣だ。私たちも心して学ばなければならない。

先日のK先生の講習会で先生は「良い弓を見ることが大事で、射風が変わるときがある。人が変わり人格形成がなされるということだ。」という事もおっしゃっていた。私はどう変わってゆくのだろうか。雪の下から掘り出されたニンニクのようにじっと球根に栄養をためていつかは大きく清々しい射を引けるようになりたい。

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