「出来ない」ということ
先日テレビを何気なく見ていたら女優の篠原涼子がミュージカル「シカゴ」に出演したという話題を放送していた。篠原涼子の名前はテレビドラマに出ている女優というぐらいでしか知らなかったのだが、「シカゴ」に出演出来るとなると相当な実力があるのだろう。
ミュージカル「シカゴ」は演出家で振付師であるボブ・フォッシーの代表作で日本にも出張公演が行われているから見ている人も多いだろう。ボブ・フォッシーのダンスはフォッシースタイルと呼ばれるセクシーで粋な振付が魅力だが、要求される完成度は非常に高く目の前でダンサーが踊るのを見ていると神経が全身に行き渡りいつどの角度から見てもダンサーが美しい。
私はボブ・フォッシーのファンで、NYに行った際彼のダンスの名場面を集めた「フォッシー」というミュージカルがかかっていて最高の満足感に浸ったことがあったが、ブロード・ウェイのお客さんがミュージカルをよく知っていてダンサーたちが踊る名場面に笑いと拍手が惜しみなく注がれているのをちょっと羨ましく思った。
このボブ・フォッシーの晩年の映画作品に「オール・ザット・ジャズ」というのがある。フォシーの自伝的映画なのだが、全編ダンスシーンが見ものの映画である。
さて、弓道の話。
ある講習会で講師の先生が「出来ません」とは言ってはいけない。と言っていた。私も同感で教える方の立場からすればせっかく指導しても「出来ません」と言われてしまったらどうしようもない。教える方だってなにも生来簡単に出来ていた訳ではなく、工夫と練習を積み重ねて技術を身につけてきたのだから指導したからといってすぐすぐその場で出来る訳もないことは充分に承知だ。期待するのはやってみようとすること、継続して練習しようとすることである。それを教えたとたんに「難しくて出来ません」などと言われてしまっては“何しに来てるの”と言いたくなってしまう。
ただ、人はさまざまだ。「出来ない」と口に出して言いながら心のなかで「でも頑張ろう」とか「どうして出来ないんだろう」とか「悔しい」とか思っていて、そこまで口に出していないだけのことで、講習や指導を受けていて「出来ない・・・」と口に出したからと言って「だからその指導はけっこうです」とか「もっと楽な方法を探します」とか「もう弓をやめます」とか思っているわけではない。はずだ。
人によっては上手になりたいという気持ちはあるものの、上手く出来なかったりすることでモチベーションが下がってしまう場合もあり泣き言も言いたくなるだろう。そんな時に「甘えるな」とか「ぐだぐだ言ってないで練習しろ」とか言っても良い結果にはならない。気持ちが萎縮して練習ができなくなることもある。
かくゆう私も講習会に出たあとはこてんぱんにやられて「もう弓道なんかやめてしまいたい・・・」と心底思い1週間ぐらいは弓を見るのも嫌になることがある。まぁ1週間ぐらいなんだけど。
弓に向き合う姿勢・環境は人それぞれである。同じように道場に来て練習していてもその内容は人によって違う。教える方も相手の様子をよく知り「出来ない・・・」と言葉が漏れたとしてその言葉に続く気持ちを汲み取る度量も必要であろう。
先程の「オール・ザット・ジャズ」に印象的なシーンがあった。
ボブ・フォッシーがダンスの指導をしている場面である。
何度もダメ出しをされるダンサーのビクトリアはグループを離れて窓際で泣いてしまい
「やめた方が・・・まともに出来ないの」と言うと、ボブが傍に来て言う。
「一流にはできないかも知れない。」「いいダンサーにも」「でも続けていれば良くはなる。育ててみたい。」「やるか?」と。
ビクトリアは少し落ち着きを取り戻して「どなる?」と聞くと。
ボブは「たぶんね。」
私の好きなシーンである。
時に「出来ない」と言葉が漏れることがあるかも知れない。でもその言葉につづく思いを受け止め「上手くなりたい」という思いをより強く持てるように、練習の濃度をあげられるように協力していきたい。
ミュージカル「シカゴ」は演出家で振付師であるボブ・フォッシーの代表作で日本にも出張公演が行われているから見ている人も多いだろう。ボブ・フォッシーのダンスはフォッシースタイルと呼ばれるセクシーで粋な振付が魅力だが、要求される完成度は非常に高く目の前でダンサーが踊るのを見ていると神経が全身に行き渡りいつどの角度から見てもダンサーが美しい。
私はボブ・フォッシーのファンで、NYに行った際彼のダンスの名場面を集めた「フォッシー」というミュージカルがかかっていて最高の満足感に浸ったことがあったが、ブロード・ウェイのお客さんがミュージカルをよく知っていてダンサーたちが踊る名場面に笑いと拍手が惜しみなく注がれているのをちょっと羨ましく思った。
このボブ・フォッシーの晩年の映画作品に「オール・ザット・ジャズ」というのがある。フォシーの自伝的映画なのだが、全編ダンスシーンが見ものの映画である。
さて、弓道の話。
ある講習会で講師の先生が「出来ません」とは言ってはいけない。と言っていた。私も同感で教える方の立場からすればせっかく指導しても「出来ません」と言われてしまったらどうしようもない。教える方だってなにも生来簡単に出来ていた訳ではなく、工夫と練習を積み重ねて技術を身につけてきたのだから指導したからといってすぐすぐその場で出来る訳もないことは充分に承知だ。期待するのはやってみようとすること、継続して練習しようとすることである。それを教えたとたんに「難しくて出来ません」などと言われてしまっては“何しに来てるの”と言いたくなってしまう。
ただ、人はさまざまだ。「出来ない」と口に出して言いながら心のなかで「でも頑張ろう」とか「どうして出来ないんだろう」とか「悔しい」とか思っていて、そこまで口に出していないだけのことで、講習や指導を受けていて「出来ない・・・」と口に出したからと言って「だからその指導はけっこうです」とか「もっと楽な方法を探します」とか「もう弓をやめます」とか思っているわけではない。はずだ。
人によっては上手になりたいという気持ちはあるものの、上手く出来なかったりすることでモチベーションが下がってしまう場合もあり泣き言も言いたくなるだろう。そんな時に「甘えるな」とか「ぐだぐだ言ってないで練習しろ」とか言っても良い結果にはならない。気持ちが萎縮して練習ができなくなることもある。
かくゆう私も講習会に出たあとはこてんぱんにやられて「もう弓道なんかやめてしまいたい・・・」と心底思い1週間ぐらいは弓を見るのも嫌になることがある。まぁ1週間ぐらいなんだけど。
弓に向き合う姿勢・環境は人それぞれである。同じように道場に来て練習していてもその内容は人によって違う。教える方も相手の様子をよく知り「出来ない・・・」と言葉が漏れたとしてその言葉に続く気持ちを汲み取る度量も必要であろう。
先程の「オール・ザット・ジャズ」に印象的なシーンがあった。
ボブ・フォッシーがダンスの指導をしている場面である。
何度もダメ出しをされるダンサーのビクトリアはグループを離れて窓際で泣いてしまい
「やめた方が・・・まともに出来ないの」と言うと、ボブが傍に来て言う。
「一流にはできないかも知れない。」「いいダンサーにも」「でも続けていれば良くはなる。育ててみたい。」「やるか?」と。
ビクトリアは少し落ち着きを取り戻して「どなる?」と聞くと。
ボブは「たぶんね。」
私の好きなシーンである。
時に「出来ない」と言葉が漏れることがあるかも知れない。でもその言葉につづく思いを受け止め「上手くなりたい」という思いをより強く持てるように、練習の濃度をあげられるように協力していきたい。
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コメント
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お久しぶりです
鍵コメさま、お久しぶりのコメント有難うございます。
最近は習うことを簡単に考えている人が多くなったような気がします。
寝ても覚めても考え工夫し自分でやってみてはじめて教えられた事の入り口に立つことが出来ると思うのですが、
教えていただいても上手く出来ないと「分かり難い」とか「あの先生の言うことは難しい」とかすぐ他人のせいにするような気もします。
習う側には真摯な姿勢が必要ですね。
最近は習うことを簡単に考えている人が多くなったような気がします。
寝ても覚めても考え工夫し自分でやってみてはじめて教えられた事の入り口に立つことが出来ると思うのですが、
教えていただいても上手く出来ないと「分かり難い」とか「あの先生の言うことは難しい」とかすぐ他人のせいにするような気もします。
習う側には真摯な姿勢が必要ですね。