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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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大掃除

道場の大掃除に出かけた。毎年色々な思いを抱えながらやってきた大掃除だったが、今年は昇段したこともあり気持ちが軽い。8時半、道場に着き駐車場で着替え長靴を履いているとシャッターが開く音が聞こえる。
挨拶をして垜に向かうとすでにK女史が崩し始めていて私の顔を見ると「良いところに来た。蛇大丈夫?」と聞く。「苦手ですよ」と答えたが見ると垜の中に茶色くとぐろを巻いたものが見える。「小さいから大丈夫です」と言って周りの砂をスコップで削り取り出そうとしたらトカゲがポロリと出てきた。もうすっかり冬眠状態らしく動かない。K女史も恐る恐る見ていたのが安心したようで、「穴を掘っておいたからそこに埋めて」と私に指示を出す。用意が良いなと面白く思いながら先輩の指示に従い小さな穴にトカゲを埋めて事なきを得た。

そうこうしているうちに会員があつまり男は垜や生垣の整理草取りと自然と役割が分担されとりかかっている。女性陣は道場の掃除。最近弓道教室に入った中学生もきゃらきゃらと楽しそうに動き回っている。
教士の二次試験が行われている東京の特別審査の話や先日私が受けた講習会の話題などおしゃべりをしながらの作業は楽しい。

昼前には大方の作業が終わり皆で車座になってお弁当をいただく。風もなく日差しが温かく12月なのに暑いくらいの陽気だ。バナナやお饅頭の差し入れもあって賑やかなお弁当。
S先生からニンニクを頂戴した。

20161218.jpg

青森のニンニクなのだそうだ。先日私が受講した講習会のK先生がお土産に持ってきたのだろう。K先生はS先生の弟子だ。講習会での講話では昭和40年高校生になって弓道をやろうと思ったが学校に弓道部が無く町のお寺にあった道場に入門した。そこにS先生がいらしてこうゆう弓引きになろうと志を持ったという。それ以来弓中心の生活だから家族にも不自由をさせたという事もおっしゃっていたが、50年S先生を慕い師弟関係を築きながらお二人とも選手権などで歴史に残る弓を引いてきた。私たちはもちろん家族の方周りにいらっしゃる方は先生の生き様姿勢に身が引き締まる感じを得ただろうし感動もあっただろう。志を持って生きる人と接することで人は学び成長する。ご家族は嬉しくまた誇らしく思ってらっしゃることだろう。
話は少し古くなるが、S先生は安澤平次郎範士の弟子だ。安澤先生は阿波研造の弟子で大射道教を掲げて東北を中心に北海道にも弓を教え歩いていた。S先生も同じように安澤先生に従って歩いた経験を持っていらっしゃる。今、K先生は講習会や審査のために全国を飛び回っていらっしゃるし、S先生もご高齢にもかかわらずやはり講習会に行かれる。時代は変わっても先生方はご自身の学ばれてきた弓を伝えようと真剣だ。私たちも心して学ばなければならない。

先日のK先生の講習会で先生は「良い弓を見ることが大事で、射風が変わるときがある。人が変わり人格形成がなされるということだ。」という事もおっしゃっていた。私はどう変わってゆくのだろうか。雪の下から掘り出されたニンニクのようにじっと球根に栄養をためていつかは大きく清々しい射を引けるようになりたい。
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テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

練習 目標に向けて

六段に合格したことで正直なところほっとしている。長く苦しい思いがあったから少し肩の荷がおりたような気持ちもある。ところがN先生から「弓をふらふらさせるな」と厳しい言葉をいただき、喜んでいる間もなく課題を与えられた。先生は私の甘い性格をご存じだから六段に安心して怠けてしまうのを戒めたのだろう。私は次の目標を定め練習を続けなければならない。それが先生と呼ばせていただける唯一の道だ。

目標はいくつか設定することが出来る。審査では次は教士の受審でこれは再来年の二月まで受けることが出来ない。その間に全国大会や選手権への挑戦などを考え練習の節目を用意しながらモチベーションを維持してゆく必要がある。
そこで、今回の六段受審を思い出しながらどのように練習を組み立ててきたかを反省してみよう。

オリンピックやテニス、水泳、スケートなど今ではテレビでいつもスポーツ番組が見られる。トップアスリートである彼らの姿は人間の身体のもつ力を披露し美しいが、同時に精神力の強さも感じることが出来る。10代20代のまだかわいさの残る顔が試合の舞台に立つと一変する。いつも緊張感の中で練習をするのだが必ずしもテンションを強くしているわけではない。自分のリズムを見つけ緩急をつけながら運動技術の練習と共に心の調整もする。試合の数分間に精神を集中させ練習した技術をすべて出す調整能力は見習はなければならない。毎日の練習から試合に向けての調整への切り替えが大事であろう。

私の今回の審査に向けての練習はちょうど一年前から始まった。父が亡くなり一段落ついたと感じられたのは11月になろうとしている頃だった。地域の試合も練習さえもスケジュール通りには行けなくなっていたからまず練習を定期的に行くように組み立てた。週末の土日に3時間ほどの個人練習。平日も仕事の合間都合を見て1日か2日やはり3時間ほどの練習を入れる。平日は弓友さんたちとの練習だから週末の個人練習で確認していることの調整といった位置づけだが、時に教士の先生方から指摘をいただき直すという作業もある。いずれにしろ個人練習と多人数での練習の繰り返しだ。練習時間は決して多くはないが、必ず練習のテーマを自覚して臨み一本ごとに自分に確認するようにし、漫然とした射は排した。

そんな練習を半年続けて自分なりにこれならばと思えるようになり道場のS先生からも「良くなった」と言われるようになったので9月に金沢で受審した。しかし結果は練習の成果を全く出せず、悪癖に逆戻りした最悪の射をして終わった。
すぐ何故練習の成果が出せなかったのかの検証に入った。
一つは技術的に射が直ってきていたが、まだ細部の理論的確認が不十分だったのだろう。出来る時と出来ない時とがあり練習を重ねて出来る時が多くなってきたというのではだめなのである。射を組み立ててゆくとき、確固たる理屈の上に立ちこうしたらこうなるという事が自分の体を通じて理解出来ていなければならない。
私の場合、息合が丹田に落ち体全体が軽くなりながら締まってくる。足裏は床に吸い付くようになり引き分けの力が体側、肩甲骨を通じて腰に集まるが会が深まってくるにつれてそれさえも肚力によって消えてゆく。そう練習していたはずなのに出来るようになると確認がおろそかになっていた。身体の中から割れて両肩肘が伸び合って離れていたが、次第に中りにとらわれるようになっていっていた。中りにとらわれれば手先で中りどころを探す。これでは伸び合は切れてしまうのは道理だ。中りは探すものではない。中り所を知ってここで離せば中るんだなどと思ってしまうのは姑息な意地汚い考えだ。しかし私はそこの罠にはまっていた。

金沢での失敗を反省しているうちに肚力で引く弓に戻ることが出来た。自分でも射が大きく変わってきたのが分かり楽しくなっていた。ところがこれが落とし穴であった。肚力を使えば自由に引けるとわかると次第に慢心が起きていたのだ。二か月の練習を経て私は射を忘れていた。挙句のはて息合を丹田に落とす方法も蔑ろになっていった。審査まで三週間という時期だった。

ちょうど同じ時期に家の問題が動き出した。今家を建てる準備をしているのだが様々な書類の提出や金銭の手配など忙しくなった。またアメリカの大統領選挙でトランプ氏が次期大統領として選出されたことなどから経済の動きが活発になり仕事も忙しくなった。そんな生活上の環境が弓への集中を妨げていった。

審査三週間前という時期はとても大切な時期だ。普段の練習から一歩意識を高め技術的には細部の確認に入る。精神的には澄ましの時期に入り気合を整えてゆく。心を静かにし平常心を心がけてゆく。だから仕事にしても家庭生活にしてもなるべく大きな変化や争い事を避けなければならない。ところがその大切な時期に波が立っていたのだった。
自分でも弓が荒れているのが分かっていた。普段はジュラ矢で練習をしているが審査用に竹矢での練習をしてみると矢色がついて的から外れる。こんなのでは受審の気合も整えられない。
そんな審査三日前、平日練習で一緒になる方が「前の射はどこへ行ったんだ。変わってしまった」と嘆かわしそうにおっしゃった。私は困ったことになったと思いながらどうしたら元に戻せるだろうかと思案し、肚の意識をしっかりと持ち直すことをした。一旦忘れていた呼吸と肚の連動はぎこちない乍らにも働くようになってきた。すると矢色のついていたのが取れて矢は真っすぐ的に吸い込まれるようになった。その日は少し取り戻した感触に喜び練習を終えた。
翌日も平日練習に出かけ、前日とは違うK先生に見て頂きながら練習をした。K先生は息合を肚に落とすまで離れを待つように指導され、私はそれを繰り返して練習した。息合が肚に落てくるのは分かるのだが、今一つ落ち切らない。引き分けと連動して素直に落ちる時もあるが途中で詰まるときもある。しかし上手く落ちてくれば会も深くなり伸び合っていれば自然に離れて矢は飛んでゆく。その感触は作為的なところが無い分非常に清々しく気持ちが良い。つまり射が楽しいのである。
その日練習がすべて上手くいった訳ではないが二日続けた肚の練習で私は少し射を取り戻していた。

審査前日は自分の所属道場で一人着物を着て体配をつけながら練習をした。すでに書いたが審査で使う矢を決める必要もあり40射ほど引いて練習を終えた。すでに私の中で澄ましが活きはじめ不安や心配は消えていた。道場に居た方とはオーディオの話などをして頭の中を楽しいものにしたりもした。楽しいものや好きなものの事を考えたり話したりして自分をポジティブなモードにするのは審査前には大切な調整だからだ。逆に一緒に居るパートナーさんとは家の話や仕事の話は一切しない。そうゆう場の空気が自然と整っていっていた。

そしてお昼のお弁当を道場で食べて、奈良の橿原へ出発した。

こう思い出して書いてみると、大切なきっかけは三日前に「前の射はどこへ行ったんだ。変わってしまった」と指摘されたところだと分かる。自分でも感じていたことだが、他の人に言われるとそのままで済ますわけにはいかない。短い時間でも直してみて意見を伺いより良いものに近づける。その謙虚さと挑戦する勇気が大切なのだ。
その人の技量や受ける段位にもよるのだが、時々審査前にはあまり直さない方が良いという事を聞く。確かに低段者の場合には審査直前に直そうとしても直り切るものではないし迷いを生んで良くない場合がある。しかし、私は審査は通過点であるのだから良いものを目指すなら何時でも直すべきだと思っている。それで受からなくても良い射を目指して失敗したのならその方が清々しい。

最後に学科について書いておこう。以前にも少し書いたが学科審査は確かに煩わしい気がする。ただでさえ術科審査で緊張しているのに教本を読み覚え字も間違わないように書かなければならない。そう思うと煩わしい。
だが見かたを少し変えてみよう。教本に書いていることから出題されるのであるから射技、体配、礼法に関係したことである。日常私たちが道場で必要としていること、やっていることなのだ。だから普段から出題される問題を参考にして練習するように心がければわざわざ審査のために覚える必要はないのである。審査で書くときはやっていることを思い出して書けばいいのである。そう思えば教本を読み覚えるのも気が楽になる。

学科審査は六段までだ。教士からは論文の提出が求められる。現在の傾向は教士では「射品・射格について」、七段では「射行の修練が人間形成に及ぼす影響について」といった論文課題が出されるようだ。ならば受審して慌てて書くのではなく普段から本を読んだり過去に書かれた論文を弓道誌で読んだりして自分なりの考察をし、書いておくのも良いのではないか。その考察を通じて普段の練習の射がより良くなれば嬉しいことだ。


テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

六段

昨日、奈良の橿原で臨時中央審査があり六段を頂戴した。こんなことを書くと素性が分かってしまいそうだが、まぁこのブログは私の備忘録だから書かないわけにもいかない。

審査を受けるのを再開し秋に金沢で受けたがこの時はまだ自分の射が十分ではなく悪癖を披露して帰ってきた。お世話になっている弓具店に電話をし県連への提出期限ぎりぎりの日に受審申込書を提出するという綱渡りをして今回の橿原での審査に目標を定め練習を重ねた。その間知人の選手権での活躍が聞こえたのも私の気持ちを強くしていった。

私の射はまだまだ未熟である。普段の練習では一緒に引く方に修正箇所を教えていただく。前回のブログに書いたように先生から右ひじの張りを指摘されて直したりもする。今回の審査に向けて留意していたのは息合と丹田の活かし方、体を大きく割って一文字に離れること、この二点だった。そして審査3週間前ぐらいの時期にその成果が見られるようになっていて私自身このままいけばと思っていた。ところが、ちょうどそのころから仕事と生活上の問題が起き弓だけに集中できなくなってきてしまった。すでに自分の中ではチェックポントの整理がつき、練習ではそれを確認することを重ねる段階にきている。試行錯誤してという時期ではない。
しかし、審査三日前に一緒に引く方から「前と全然違うあの射はどこに行ってしまったんだ」と指摘された。正直私は頭の中で困ったことになったと思った。
そこで再度肚力の意識を強くし弓手や馬手の力の抜けを確認し肩の位置、肩甲骨の運行を確かめと一つ一つ確認し直す作業を行った。その結果少しは元に戻すことが出来た。
だがまだ完全ではない。翌日はまた見て頂きながら自分から中てない練習をする。K先生の指導のもと息合がきちんと肚におちるまで離さない。これは中て気の強い私にはなかなか難しい練習なのだが中てようとすると体や弓手が動いてしまう。中てようとせず気を落として伸び合うことに集中すれは何時かは離れて的に中る。この息合が落ちてさらに離れが生まれるようにというのは練習としては非常に楽しいものだ。

そして前日。午前中に私は道場で審査で使う着物と袴を着装し体配をつけて練習をした。この時竹矢を二組用意してどちらを使うかを決めた。イヌワシの尾羽の矢とイヌワシの石打の矢を比べて引く。結果は石打の方が矢飛びが良かったので審査ではこちらを使うことにする。

こうして雪で白い頭をのぞかせている富士山を眺めながら高速道路に乗り審査会場に向かった。
橿原の会場では錬士を受審する仲間に会い結果を伺ったが残念だったようだ。自分の番号や同じ六段を受ける知り合いの番号を確認し射場の下見をする。私は体育館の中に作られた特設射場である。日曜日は雨が降る予報だから心配はいらないと思った。
ホテルは審査会場から15分ほど離れた静かなところにあり、百人一首にうたわれていそうな田園風景に山の稜線が遠くに眺められて雰囲気が良い。周りには何もない場所なので食事つきなのが良かった。

審査当日。開会式は特設射場で行われた。矢渡し、特別演武を拝見し控えに戻り学科審査の準備。控えでは一緒に練習をする弓友さんと一所に集まる。一人ご高齢の女性がいらしたので、お声をかけると同じ県の方と分かり、ご縁を感じる。お怪我でしばらく休んでいたのを再開しての審査なのだそうだ。今回はこの方が私の女神になった。
余談だが私は五段を受けた時に同じ立になった女性が私の道場の先輩(引っ越して他県に移られた)に習っているとおっしゃるので気持ちよく引けた経験がある。今回は控えでご一緒になった女性とお話をしているうちになんだかこの女性が今回の私の女神だと思った。その方は私に「大三からはどうやって引くの」と聞いたり、私の巻き藁練習を見にいらして弓手やカケの様子を見ていらっしゃる。私に気負いは無いが不思議な女神だ。

学科審査は「生気体と死気体について述べよ」「介添えの心得について述べよ」の二問が出た。30分で書き上げ退出し昼食をとる。パートナーさんが買ってきてくれた弁当は小ぶりで審査前にはちょうど良い。

3時過ぎ、いよいよ立番が近づいてきたころ、予報にたがわず雨が降り出してきた。小雨だが射場へは建物を出ていかなければならない。もう少しもってくれていたらと思うがこればかりは仕方ない。カケを濡らさないようにして射場控えに向かう。
進行係りにしたがい控えに座ると、私たちの立から4人になっていた。もう残すところ何組もない。私は大前。歩数を確認して他の方に伝えたり射位に進むところを確認したりする。

特設射場の垜はウレタンのような素材だ。色が薄い灰色で的の白黒が霞んで見えにくい。体育館の中で壁が無いのも空間が広く感じられ的までの距離感が捕まえにくい。そこで私は的を狙わないことにした。引き分けが正しく出来れば自ずと狙いは的につくのだし、中て気を捨てるにはちょうど良い。そう思うと国際弓道連盟発足の武道館を思い出した。東京九段の武道館でやはり特設会場の的だったが、二本中てて記念のスプーンをもらったことがある。京都の会場だって特設会場だ。私は特設会場ではよく中っているのだ。

礼をして射場に入り本座で肌脱ぎをし射位に進む。女性がいたので一呼吸おきながら四人がそろうように気を配る。射位についたらあとは私の射をするだけだ。練習で気をつけたことを確認することもなく馬手肘は張りあがり弓手は力も抜け左右大きく引き分ける。的への狙いは意識に無いので会で伸び合っていたら離れた。両腕が伸びて弓倒しがしばし出来ない。甲矢は中ったようだが特設会場の垜は中っても外れても似た音だから考えない。矢どころもわからない。乙矢、同じようにと意識することもなく引く。二本中てたいとチラッと頭をよぎるがそれよりも精一杯引く気持ちが勝った。射が終わり退場すると、出口近くに先ほど学科審査で担当いただいた正法寺先生がいらした。

とりあえず二本は中ったのであとは先生の評価を待つだけだ。荷物をかたずけ待つが、気持ちはすっかりハイになっている。
弓仲間さんたちとおしゃべりをしているが精一杯やってしばし興奮気味なのが自分でも分かる。

結果発表を張り出した紙に私の番号があった。思わず「あったよ」と大きな声で喜びパートナーさんの手を握った。悪癖を経験し一時は弓を引くのも辛かった時期がある。先生には治らないのではと言われたこともあった。そうゆうどん底をくぐっての合格だった。

地元の先生に合格の報告を電話でし、審査会場の出口に向かう。東京でお世話になっている先生にお礼の挨拶をしようと思ったからだ。すでに何人かの先生は役員の方の車に乗り込んでいる。そこにN先生がいらした。私が弓を始めた時からの先生で今回の射場でも審査員をされていた。「先生、有難うございました。」と申し上げると私の顔をちらっと見て「弓がフラフラしてちゃだめだ」と厳しい言葉をくださる。合格の喜びは一瞬にして消え、次の課題を渡された形だ。

会で探ったり緩んだりしたわけではない。乙矢の方は少しカケの離れに色があった気はするが矢にそれが出てはいない。だから外形上は問題はなかったはずだ。しかし私は離れた時もまだ自分が残っていたのを知っている。会で気息を落としきっていなかったのだろうか。離れの刹那まだ私が残っていてそれが先生の指摘の言葉の意味なのだろうか。それとも体配に問題があったのだろうか。
先生の存在は有り難い。合格したのだから喜びたいところだが、すでに次の目標を目指すよう容赦ない。良い先生に巡り合って弓を始めたことを有り難く思い、今の環境に感謝し努力しよう。

次は教士の審査だが、昔と違って今は六段を頂いてから一年後でなければ受審出来ない。その間にどのような勉強をするのか。よく考えて取り組むこととしよう。

おまけ)

今日審査会場でご一緒し写真を撮ってくださった方から写真がとどいた。どんな射をしていたか勉強になるので大変ありがたい。
大三引き分けと甲矢乙矢に違いはないが残心を見ると乙矢のカケの位置が少し高い。自分でも感じていたことだ。

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引いていた時は矢処が分からないでいたが、写真で見ると甲矢が下で乙矢が上。離れに若干色があった分上に行ったのだろが縦の線がそろっているのは嬉しい。



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