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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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函館 千代台弓道場

夏休みを利用して帰省した。函館である。
函館には千代台という野球場や市民プールのある運動場があり、その一画に函館市弓道場がある。実はこの弓道場は古く歴史のある道場なのだが、それを私が語るのはおこがましい。
今回は遥かなるノスタルジーもお許しいただき、千代台弓道場で弓を引いてきたお話である。


7月の24日から函館に帰省してきた。今回の大事は父の一周忌法要を行うことであるが、法事以外の空いた時間は弓を引きたいと思った。これまでも支部対抗戦や高校生の大会を拝見していたが、今後函館に行く機会は減るだろうし今のうちに千代台の弓道場で弓を引きたい。そう強く思った。
そこで、以前知り合った函館の弓道場の方に手紙を書き帰省の際に千代台で弓を引きたいのでご了解いただきたいと連絡をしておいた。

今まで千代台で弓を引かなかったことの理由の一つに弓の運搬の問題がある。飛行機で弓を運ぶのが心配だったのだ。空港で弓を運べるかと尋ねたら運べると答えを得たので今回荷物として預けてみたのだが、行き帰りで対応が違った。このことについてはまた別に書くが多くの弓引きはどうしているのだろうか。また航空会社の統一ルールというものはあるのだろうか。

函館に着いた翌日の午前中、千代台に出かけた。函館市内での移動は市電を使うのだが、市電は天井が低い。特に古い型の車両は低いので要注意だが、お勧めは運転手の後ろにある座席との間の空間、ここは運転手が運転席から出入りする小さいスペースがある。弓を少し斜めにして置いて座ることが出来る。もう一つのお勧めは閉じているドアスペースだ。乗り降りのステップ台の分床より低くなっているのでここに弓を置くと天井に引っかからない。ここが一番のお勧めだ。市電に弓をのせる時は下筈のところ石突をビニール袋かなにかで包んでおくとよい。市電の床は汚れているし特に古い車両は木の床にコールタールのようなものを塗っている、これは冬の対策だが直接弓袋が触れると汚れがついて取れなくなる。函館で弓を引く機会があるなら市電の乗り方にご注意いただきたい。

さて本題に入ろう。道場は9時から開くが管理人さんが準備をするのでその分少し遅れてスタートするらしい。私が9時半に道場を訪ねると数人の方が巻き藁や的前に立って練習をしていた。受付で挨拶し名前を伝えると、手紙を出しておいたSさんが支部に連絡をしてくださっていて、男性の方が話を聞いていると言う。やはり手紙を出しておいてよかった。利用料150円を払い、記名して道場に入る。男性の方は函館の会長さんで会員の方に紹介してくださり、挨拶をして弓を張った。

道場は5人立ち、普段は立射で一手もって入り、続いて矢立てからもう一手。四矢を引いて矢とりに行く。立ち位置は順に上がっていって大前が矢とりをする決まりだ。これは私が最初に入門した道場も同じだったのでわかりやすい。他人の射に指導をつけることはなく、それぞれが練習に集中しているが、特に指導を受けたい場合会長さんに「見ていただけますか」とお願いしていた。また、5人で入場から体配をつけて練習したいときもそう断って練習していたが、全体が相互に理解しながら道場を利用している空気がとても見られ、練習の一つ一つにも歴史を感じられた。
私もその自由な雰囲気の中、まるでいつもいる人間のように一緒に射位に立ち、時にパートナーさんの指摘を受けながら反省して練習を続けた。最初の日2時間半ほどの練習はあっという間に終わった。

火曜日は私が法事、水曜日は道場がお休みなので、2日目は木曜日の同じ時間。あいにくの雨模様だが幸い道場に向う時間はわずかに晴れていた。朝方は大雨の注意報も道内各地に出ていたくらいだったが数名の方が練習に来ている。熱心な道場だ。道場は更衣室も隅々まで整理整頓が行き届いていて会員の皆さんが大切に使っていることが伝わってくる。
この日最初の4本を引いたところで弦が切れた。替え弦は持って行っていたので練習は続けられたが調子が狂ってしまってパートナーさんいわく射が変わってしまったという。法事やドライブといった事で疲れが出ていたのかもしれないが情けない事だと意気消沈する。

翌日、千代台での最終日。雨もあがり蒸し暑い日差しになった。前日の反省を胸に今日もまるでいつもの会員のように準備をし練習をする。途中K会長と話をし、今私が所属している支部のS先生が函館の道場を木の間から風が吹き込む爽やかな道場であることを褒めていた話などを伺う。函館では五支部対抗戦という伝統ある試合が行われていてS先生も参加していた歴史がある。私も自分の道場に戻り先生に「函館で引いてきました。」と報告が出来ると笑った。

IMG_1155.jpg  IMG_1156.jpg

道場の控室には宇野要三郎範士の額が飾られていた。昭和三十七年とあり道場が舘範士の働きで建てられたことを喜び祝った文章で五周年の祝いに宇野範士が寄せられたものを額装したものだ。
反対側の壁には昭和八年に新川小学校の講堂で撮られた写真が飾られている。函館の弓道が古くから盛会であったことがわかる。

私は子供の頃市内の高校にある白壁の弓道場を見て心惹かれ、弓道が心に残った。この白壁の道場は私が手紙で今回の千代台道場訪問をお願いしたSさんが高校生の時に創部した道場だった。あることをきっかけとして私はSさんと知り合い、数年前にSさんと一緒に千代台の道場を訪ね函館の弓道の活発なのを知ったが、その後函館に年二三回訪問していたが弓を引く機会は無かった。
今回、強い思いをもって訪ねたのだが本当に良かったと思っている。歴史と規律をもった素晴らしい道場が私の故郷にあることは同じ弓道人として喜ばしいばかりだ。

私の訪問を連絡してくださっていたSさん、快く道場で弓を引くことを許してくださったK会長と会員の皆さん。深く感謝をしお礼申し上げます。


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テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

7月の月例会

今日は中央支部の7月月例会。
朝、2時に目が覚めていつものようにビデオを見ていたがこのままでは試合が始まる頃には眠くなってしまうと思い、3時頃にもう一度横になりうつらうつらと睡眠をとって6時に起きだした。これが良かった。

道場に入り挨拶をして立ち順の番号を引くと、なんとスーパー大前!まぁこんなこともあるだろうと気合を整える。今日の課題は今練習している肩の位置とどこまでも大きく開き一文字に離れること。昨日の練習では落ち着きが無かったから今日は試合の緊張感を借りて気を抜くことなくやり通したい。

37人ほどの参加者、立射四矢4回で始まった。結果は

○×○○ ××○○ ○×○○ ×○○○ 11/16 
射詰競射に移り ○○ ○○ ○○ ○○  優勝      

1立ち目、中りは星近くに集まるが、2射目の外れは5時。押し込む意識が弱いのだろうか。
2立ち目、甲矢は6時、乙矢は3時半に外れた。どうしてなのか判らないが気を強くもって続く2本は星の左上に集めた。
3立ち目、中る矢は星近くに集まるが、2本目は5時に外す。前の立ちが2中だったので皆中を目指した分気合が入り過ぎたのだろうか。
4立ち目、甲矢を12時に外した。これは仕方ないが外し癖にならないよう丁寧に狙いをつけて星に集める。

結果は同中の3人で決勝戦となった。

遠近競射を先にやり4位以下を決め、決勝戦は射詰競射。四矢を持って入り本座で矢を置き一本を持って射位に進む。
先月の月例会でやはり決勝戦の射詰をやったのだが、一本目で外し2位になっている。今回は外すことのないようと心に決めて1本目を射ると星の上に中った。良しと心に言い本座に下がる。
4本引き終わった段階で3人とも中っていたが、5本目でKさんが8時に外し3位に決定。
5本目、6本目は問題なく引けて星上に中るが7本目は腹に力を入れるタイミングが狂い両腕に力が残る。それでも気持ちで押し込むと矢は6時に中る。これに対してN先生は中りが良くなり星に集まりだしてきた。さすがだ。私はこのままでは外す可能性が増してきたと少し不安が出てきたので、その気持ちを抑え込んで同じように引くことに心がける。
8本目、体も緊張して力が入りながらも矢は4時の的縁に中った。そしてN先生は8時に外れた。
久しぶりの優勝。しかも射詰競射を制しての優勝だから大満足。

賞品のスイカを二個頂戴したので一個をお昼にみんなで食べることにし、もう一個は頂戴して帰ることにした。これまで練習に付き合ってくれているパートナーさんへの恩返しでもある。

昼休み、四矢4回の練習をしたがやはり下に外れるのが気になる。伸び合いが足りないのだろうか。体が固くなっているのかもしれない。普段の練習の方向性は間違いがないようだが、もっと体幹を鍛えて腹でひけるようになりたい。先生に見ていただいて新たな課題を指摘してもらいたいと思う。

今朝、道場に向かう時に考えていたのは角見を利かすタイミングだった。離れで押しながらさらに角見を利かすのにはどうするのかということだが、実際には両肩の開きで中てた。前に外れたのは角見のせいもあるのかもしれないが、今は押し切る練習を充実させようと思ってもいる。
他の人の射を見て思うのだが、中りを持っている人はどうしても引き分けてきて会に納まり、中りどころで離してしまう。経験的にここで中ると思うから離すのだろうが、結果としてそれは延び合いのない射になってしまう。弓手と勝手が点で離れ矢筋の延長線上で離れるのには足りない。胸の中筋、体の中から離れることも出来ない。やはり両肩両肘を左右に延び合ってゆくことで離れが出るようにしたい。中りどころに付いても安心することのない戦う射だ。

今日の月例会では最後の納射をおこなった。射手も介添えも若い人にやってもらったが、射手を務めたSさんの射は最後まで延び合い張り合いある良い射で残心も立派だった。こうゆう納射で締めてもらうと月例射会も楽しい。


テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

八寸的

7月号の弓道誌に全日本弓道大会の模様が伝えられている。毎年京都で行われる大会で、今年は1800人の弓引きが集まったという。競技は尺二の霞的を一手引いて二本束った選手が決勝へ進出、決勝では射詰で3本目からは八寸の星的を使って一本一本詰めて息詰まる戦いとなる。

教士の部で優勝された静岡の大山先生が「私の京都大会に臨む目標は毎年同じで24㎝的まで進むことです。」と記事に書かれているのを見て私も24㎝的での練習をしてみたくなった。
24㎝というのは八寸的である。以前、ある射会で的の大きさの意味について話題が出て尺二の的は人間の胴体の幅をイメージしているのだと教わったことがあった。では八寸は何を想定しているのか気になったので探してみると、KenさんのBROGSで胸の幅だという説を紹介していた。ちなみに四寸は胸の厚みだそうだ。
KenさんのBROGSやそこに紹介されている資料を否定する気は全くないが、素直に納得も出来ない。まず実戦を想定しての寸法だとすると胴は甲冑をつけている。甲冑のサイズなのか身体のサイズなのかはっきりさせたい。たとえ身体の胸の幅にしても少し小さすぎはしないだろうか。ちなみに今私の胸の幅を測ってみると30cmある。戦国時代の平均的身長が150㎝ぐらいと聞いたことがあるが、現代人より小柄だったにしても胸幅24㎝というのはどうなのだろう。的だけでも色々な考察が出来るのは楽しい。

さて、八寸的の練習をしたいと思ってみたが道場の的を使わせてもらう事も出来るが自分で作ってみたくなった。ネットに的紙をのせている方がいたのでプリンターで印刷できる。的枠は段ボールで作ることにした。的の大きさに直径24㎝の円を切り抜きその周りに枠をガムテープで付け印刷した的紙を両面テープで留めた。見た目は立派な八寸的が出来た。
弓具店の通販サイトをみると900円ほどで出ている。段ボールの的で調子が良いようなら的枠を買ってもよいだろう。

さあ自作の八寸的を練習に使ってみよう。霞的の練習では的に中てたいという気持ちを消す訓練もしているが、八寸的だとその気持ちはどう変化するのだろう。引き分けてきた時会で自ずと的についた狙いと同様に八寸でもいくのだろうか。
八寸的に中るからといって尺二の霞的は確実かというとそうでもないのは経験的に分る。そうゆうのは八寸的の練習を積むことで変化するのだろうか。
八寸的で楽しみは広がるようだ。

ではまた。

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動かない弓手

九州地方に豪雨をもたらしている雲は、明日には当地にも近づき一日中雨の模様という。ということで今日のうちに練習をしておこうと道場に出かけた。あいにく蒸し暑いがそんなことは言ってられない。なにせ、最近少しわかりかけてきた事があって課題だった弓手の問題が解決に向かっているからだ。

当地に越してきてから起こった致命的な問題は離れで弓手が動くということだ。引き分けて会に至るまではいいのだが、離れで揺れてしまい全く見るも無残な結果となる。ひどいときは肩根から動いてしまう。それでも中りがあるからいいのだがこれが逆で根本的に直す方法がわからないままであった。それが去年の暮ぐらいから心機一転基礎からやり直そうと決意し、徹底的に引き分けを直した。弓手と妻手を力を抜いて引き分け、その分丹田への意識を強化する。三重十文字と五重十文字を考え、体幹を鍛え体の中心から分かれるように離れを作る。これで弓手の揺れはだいぶ良くなった。と思った。

しかし何人かの方に見てもらうとまだまだだめだという。
先日教錬士会のあとで見てもらいながら直してみたら私の思っているところより弓手を低い位置にするとよいと言われた。正直なところ狙いが的の下にあるような感じだが、その狙いで離れると弓手は少しも動かない。狙いが下にあって不安な気持ちはあるが中った矢は集まり特に左右に散ることなく縦一列にそろう。
さてこれを確実に安定して出来るようにするためにはどこに根本的理由があるのかを究明しなければいけない。
私は会での弓手の高さもさることながら、その時に左肩の収まりどころにあるのではないかと考えてみた。もともと弓手が動く悪癖は当地に越してきてから出たものでそれまでの私の弓で出たことはない。私は会で左肩が伸びるので押し切ることで中りを誘ってきた。勝手は小離れだったので突っ込み勝ちになる癖が出ることはあったが弓手が動く事は無かった。
ではなぜ当地に来てから動くようになったのか。当地に来て変えたところは何処かというと打ち起こしの高さである。それまでは少し低めの大三で弓に割り込むよう、引き寄せるように引き分けていた。それを打ち起こしを高く大三からの引き分けを大きくするように変えた。これで縦線を生かした大きな弓を引けるようになった。ところが離れで揺れてしまうのだった。

中りに執着し離れで悪さをしてしまうのかとも思って的を意識しない練習をしたこともあった。これはいい練習だった。だが動く理由ではなかった。引き分けて来た時の肩の収まりだったのだ。

それまで私は会で矢は水平になっていると思っていたが、若干ノ半分ほど矢先が上を向いているという。妻手が強いのもあるが目通りのあたりから慎重にやることで弓手の押しがゆっくりになってしまい押し引きのバランスが崩れることも理由だった。それは気が付いて直せた。的に中てるために押し込んでいるため離れで動いてしまうのではないか。そういう指摘もあったがやはり押し切る気持ちは大切でその時に妻手も体の中心から引いていることだろう。大三から肩を開きながら下へ下へと収めるように引き分けて今まで嵌っていると感じていたところより意識的に下げる。その差はどのくらいだろう。縦線の大事なところだ。
するとどうだろう、離れで弓手はもとより肘も全く動かない。まだ若干矢が的の下にいく事はあるが、的に中るし矢飛びも良い。なにより左右一文字に離れ弓手が動かないと同時に妻手もスパンと大きく飛んでゆく。
正しく的についた弓手の位置、それを押し切る肩の位置を直すことで離れで弓手が動くことは無くなった。弓の抵抗も感じられず弓手の手の内も軽くて自由だ。離れで分れるのは中筋だが、支点は肩根だからその肩と弓手の高さが的方向に整っていなければ体は修正しようとして動いてしまう。離れで弓手が動くのは肩の位置が原因だったのだ。

しばらくはこの肩の位置を体に覚えさせ自然に引き分けてこられるよう練習をしてゆこう。
それにしても、何時も気にかけてくださり指摘してくださる弓の仲間先輩方には深く感謝するばかりだ。

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ジャンル : スポーツ

追悼 鹿野伸郎範士

今日届いた弓道誌に前日弓連会長石川武夫範士が3月に亡くなられた東京板橋の鹿野伸郎範士への追悼の文章をのせられていた。あらためて深い悲しみと寂しい思いが私を包み頭の中で時間が止まったような感じになる。
人生には出会いと別れが必ずあり、誰にも人生の契機、重要な時期にお世話になったり影響を受けた忘れ得ぬ人との出会いがある。鹿野先生は私にとってある時期大変お世話になり弓の世界を豊かにしてくださった大切な方だった。東京の弓人で鹿野先生のお世話になっていない人はいないし、日弓連理事、都連理事長を長く務めてこられた先生だから多くの先生、先輩諸兄が私と同じように思い出をお持ちであろう。そうゆう先生方と席を並ぶべくもないが、鹿野先生の思い出をここに記して私なりの追悼としたい。

私が弓道を始めたのが昭和61年、鹿野先生も名札を掲げるJ道場だった。社会人になってから弓道を始めた私はすべてが新しく面白く仕事を終えると真っすぐ道場に向かい練習をし道場を閉め時には先輩に誘われて駅前居酒屋巴で飲んで帰るという日々を過ごしていた。もちろん土曜日曜も一人暮らしのアパートにいる訳もなく、午前中から夕方まで道場で練習をしたり試合に出たりと文字通り弓三昧の毎日だった。当時鹿野先生は家庭を持たれ板橋の道場に所属しておられたが、J道場で行事があると奥様と息子さんを連れて道場にいらしていたので私も親しく話をする機会を得ていた。
鹿野先生はどの門人にも等しく接する方で私たち初心者にもそれは変わりなかった。私にとって幸いなことは鹿野先生と日大でご一緒だったSさんの存在だった。Sさんは学生時代J道場に下宿し道場から大学に通っていたが、同じ学生だった鹿野先生は近くの米屋の二階に下宿していて共に大学での勉強、部活、J道場での練習と文字通り寝食をともにする友人だった。私は学生弓道を経験していないが若い時期に同じ生活をした仲間がどれほどのものかはよく理解できる。
そのSさんはなぜか私を気に入ってくれて練習を見てくださるのはもちろん、審査などにも一緒にいってくださったりした。練習や試合が終われば飲みに行きいつしか私は周りから冗談交じりにSさんの弟子と呼ばれるようになっていった。朋友のSさんが一生懸命に指導をつける私を鹿野先生も楽しく見てくださっていたようだった。直接指導をつけていただくことは無かったが気にかけていただいていたのは感じていた。

ある時まだ錬士になって間もないころ、板橋の道場で当時会長の竹本範士による称号者の講習会が行われたことがあった。たまたま腰を痛めていた私は座射で弓を立て保持していた時に身体に隙が出てぐらつき矢番えが無作法になった。すかさず竹本範士から「称号をもってそんな体配はなんだ!」と大きな声で叱責された。全く恥ずかしいばかりで悔しかった。なんとか引き終えたが、昼食時鹿野先生が小声で「しっかりやれ」と声をかけてくださった。
またある時、支部対抗戦の席で審査席にいた鹿野先生が隣に座っていた久田先生に「あいつはSの弟子なんだよ」と言っている。今は四国に移られた久田範士である。久田範士は当時全日本選手権で東京代表の常連、鹿野先生とは日大も一緒、J道場ではお父様の代から名を連ねていた。私の手元に安沢平次郎先生がJ道場で指導されている写真があるがその背景の黒板に久田という名前が見える。これは久田範士のお父様である。鹿野先生が久田先生に私のことを話したおかげで、指導では厳しい久田範士に私は気兼ねすることなく挨拶することが出来る。私が四国に審査を受けに行くのはそうゆう理由がある。Sの弟子の私が今どうゆう弓を引いているかを見ていただき同時にSさんの事を思い出していただきたいからである。Sさんは2002年の3月に亡くなっている。

あるときJ道場で練習をしていると、控えでバッグの中を探っていた鹿野先生が「これあげるよ」と私に弦巻をくださった。細い紙縒りを編み上げた小ぶりな弦巻きである。鹿野先生からいただいた唯一の品で今となっては形見の品となってしまった。

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家の事情で東京を離れ当地に越してくるとき、私は鹿野先生に引っ越しをする挨拶の手紙を書きこれまでの御恩に感謝の意を伝えた。その後しばらくして体を壊されたことを聞き、射会で東京に出向いたときに息子さんの鹿野伸一郎教士に挨拶をし鹿野先生の様子を伺ったりした。東京での審査でお見掛けすることもあり、また当地の道場でも先生から鹿野先生のご様子をうかがうこともできたのでお元気に活躍されているご様子に安心し審査や試合で東京でご一緒しお世話いただけることを楽しみにしていた。

人は大切な人と出会い別れる。人生の中でご一緒出来たことを喜び、思い出を楽しむが同時に寂しさも背負わされる。寂しい。J道場の先輩、大切な方が亡くなったことは寂しい。
鹿野先生の生前のご活躍ご功績を思い、後輩としての責任を考えることで寂しさを乗り越えよう。今頃は弓仙となってSさんや多くの弓仲間と弦音を楽しんでいることだろう。

有難うございました。鹿野伸郎先生。

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夏の練習

梅雨に入り弓引きにはつらい季節になってきた。しかも連日30℃を超す気温である。竹製の弓や矢には過酷な気温だ。毎年のように書いているかもしれないが、この時期は湿度と温度の話題にふれないわけにはいかない。

先日から練習すると胴着はもちろん帯のまわりも汗でびっしょりになるようになった。胴着は一日着たら洗濯するし帯は家に帰るとすぐ陰干しをする。袴も干す。我が家のパートナーさんは洗濯が好きだから「出して出して・・・」と気兼ねすることなく出せるが、弓引きの諸兄はいかがだろうか。
道場で練習をしていると下かけはすぐ汗をすってびっしょりとするので、何回も取り替える。ある人は二枚重ねで使っていたので真似をしてみたが私の場合は下ガケ一枚にぴったりのカケだったので感じが変わってよろしくなかった。下ガケがはみ出すのは見苦しいがカケの縁が腕と触れるところは汗をすってカケが濡れたようになる。手首用のサポーターを100円ショップで買ってきて使っているがこれは良いと思っている。
そんな工夫をしてもカケ自体がけっこう湿ってくる。手で触ってもわかるくらいだ。通常二時間から三時間の練習をするが、この時季はカケの中の手もまるで水につけていたように白くなるほどで、こんな状態ではカケが痛む。今日は下ガケの交換に加えてカケも替えて練習をした。同じ作者のカケだから離れに大きな違いはないし、新しいカケの方は癖のないぶんスパッと離れた。ちょっと苦笑いする場面だった。
もちろん家に帰ったらすぐカケも陰干しする。

練習では春に作ったジュラ矢を使っている。やはり気を使わなくて済み楽だが、では使っていない竹矢はなにもしなくても良いかというとそうゆうわけでもないだろう。防虫剤やシリカゲルを一緒に矢筒に入れてあるがこれだけの気温だから心配だ。使っていない竹矢でも時々は見て手ぬぐいで磨きために狂いが出ていないかなど確認しておく方がよい。竹矢だって寂しがっていじけているかもしれない。いざ試合や審査で使おうと思ったら狂っていたなんて恥ずかしい話だ。手ぬぐいを使って熱くなるほどに磨いていればそうそう狂いも出ないだろうが、もし出たら弓具店さんか矢師さんのところに持って行って直してもらうのが良いだろう。下手にやって失敗すると直すのにえらく苦労する。

最近の弓は皆さんどうしているのだろう。カーボンの入った弓など形が変わりにくいだろうが、変われば直しにくいともいえよう。使った事がないのでなんとも言えない。
私の使っているのはカーボンの弓、合成接着剤の弓が一貼づつで他はにべ弓だ。夏に弱いと言われているが、私はそれほど神経質になっていない。夏場でもにべ弓で練習をしている。引く前に形を見るのはもちろん練習の途中でもいつも形は見ている。でもそれはにべ弓に限ったことではなく当たり前のことだ。この季節は狂いが出やすいと思われているが、それより弓の癖を見極めて形を整えるいい時期でもある。もっとも射手が弓に変な癖をあたえるような引き方をしていない事が肝心だ。

夏場の練習は弓具ばかりでなく自分の体も不具合に陥りやすい。練習中の水分補給は必須だが水を取り過ぎでもお腹を壊しやすくなる。適度な運動をして体力作りが欠かせない。
私は道場での練習後はプールで泳ぐようにしている。弓で疲れた体を水泳でほぐすのが目的だ。弓とは違う体の使い方でバランスを取り戻す効果もある。競泳の選手のようにトレーニングをするわけではないから体が熱を持たない程度に泳ぎ、水中歩行などでクールダウンもする。
こうして週末は弓と水泳で心をリフレッシュさせる。