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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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道場

初心者教室に入り弓道を始めた方が組織に失望し退会したというコメントが寄せられた。残念なことだと思う。その方の事情を知らないので直接的には意見を差し控えるが、初めて弓道をやろうとする人には慣れない世界に戸惑うこともあるかもしれない。道場という世界を少し考えてみたい。

私が弓道を習い始めたのは社会人になってからで個人道場だった。大先生がいて会員による運営組織があり入門すると中堅どころの先輩が素引き巻き藁から教えてくれたが、2か月ぐらいすると的前にも立たせてもらえるようになった。この間射法八節、立射坐射の体配など教えてもらうこともあったが、見て覚えることが基本で他の方が練習しているのを見て体配を覚え引き方を覚えたし、一的射礼なども初二段のころから先輩と一緒になって練習した。特筆すべきなのは道場では大先生一人が先生であり会員は全員が学ぶ者という姿勢がその道場にはあったことである。先輩の教士や錬士の称号を持つ人も先生とは決して呼ばず○○さんと呼んだ。もちろん先輩は訊けば教えもしてくれたが細かく口を出すことはしなかったし、他の人が指導している人に一緒になって口を出す事もなかった。会員は皆人の射を見て学んだし、教えているのを見て指導のしかたを学んだ。
個人道場だったから道場の事は全て自分たちでやった。掃除、的張り、垜直しはもちろんで先輩の一人はトイレ掃除は俺の領分だと譲らないくらいだった。
そんな道場生活を経験すると自然と道場というところがどうゆうものなのかが体に沁みてくるようで私は幸せな経験をさせてもらったと思っている。

弓道教室というシステムは広く弓道に親しむきっかけを用意するという点では有効な方法だろう。市の広報で開催を知らせ誰でもが受講することが出来る。随時入門と言うわけではないのが不便だが入門者に効率よく教えるにはやむ負えない事である。教室によって違いはあるが、週二回三か月間ぐらいの弓道教室で的前で坐射が出来るくらいまでの事は経験する。
弓道教室では複数の受講生を同時にみるため指導者も複数配置することになる。主たる指導者を決めるだろうし教え方の話し合いもなされるだろうが、ここに問題の一つがある。指導の分担、安全管理の点から指導者が複数いることは仕方のないことである。だが受講生にとってみれば複数の教え方を受ける事でありこれは混乱の元である。指導する側はよほど注意し用語の使い方、指導方法、手順などを統一していかないとこの指導者にはこう言われあの指導者にはああ言われということになりかねない。経験を積んだ人にはわかることも初心者には難しいということをよく考えておかなければならない。手順なども同様で、弓返りのことを前回書いたが弓返りを教えるために手の内の形を教える人もいれば私のように肩の納まりを重視する者もいる。いずれも大事であるが今何を教える時期であるかこの先の成長と練習も考えながら指導しなければならない。さらに理解や実際にやって出来るかどうかは個人によって違うから指導にも差が生まれてくる。ここにも受講生の不満が生まれる要素がある。一人ひとりを進捗状況を見ながら指導するのと限られた時間の中でここまでは教えなくてはというのの違いだ。人によってはこれを贔屓や差別と感じるかもしれない。指導する側教えられる側双方が十分に理解し合いながら進めなければ誤解を生み練習も進まなくなる。

さて道場のマナーという点も考えてみよう。道場という言葉はもともとは釈迦が悟りを開いた場所であり、僧侶が仏道を学ぶ場所寺院を指している。武道では武道を学ぶ場所である。学びの場所だから大きな声を出して世間話をしたり足音をたてて歩いたり走ったりというのは厳に慎まなければならない。畳の控えではある程度容認されるとしても射場に降りたら話すのは禁物である。人の練習の妨げになるという事もあるが、なによりも自分の練習に集中し緊張感をもって練習することが大事でその気持ちがあれば余計な会話や騒がしい動きは自ずと無くなるはずである。控えで休んでいるときでも高段者の先輩が引くときには注目してみていたもので、おしゃべりも自然に止まっていたのを思い出す。
他人の道具に触ったり、後ろに立って矢筋を見たりというのがマナー違反であることを教えられるだろう。他人の道具を壊したり傷つけたりしてはいけないという配慮と習う人もいるが、本来は他人の技を盗むことをあからさまにやってはいけないという事だ。道具を見れば使っている人の技術が判る。矢筋を見るのは正にそのものだ。相手を倒す技であるからそれを知られるというのは武道家としては致命的な事である。技の練習を人のいない時に一人ひっそりとやるというのも同じ理由だ。技は知られてはならないのが本来なのである。同じ考え方から他の道場で練習するというのも本来あり得ない話だが今回はその点に深く触れない。今は仲間同士でお互いの道場を行き来し練習することもあるだろう。その場合は相手道場の先生や指導者の方針をよく守らなけらばならない。転勤などで他所の道場に変わらなければいけないときは紹介状を書いてもらうというのはよく聞く話だし私の知人でも先生に紹介してもらってはじめて道場を訪ねたという人がいる。それが本来の姿であろう。
こうゆう事を書いたり言ったりするといつの時代の話だと反発する人がいる。だが本来の道場の姿を知らないで道場だと思っていると大切なことを学ばないままになってしまう。

最近個人道場は減りほとんどが市の施設となっている。そして委託管理制度の導入に伴い業者が施設管理を行いシルバー人材の方が道場の掃除、的張り、垜整備もやるようになった。これでは弓道を志すものが知っておかなければならない大切なものを学ぶことが出来ない。私の知っている処では管理業者と協議して的張りや垜整備などを会員が行うことで利用料を安く抑えるなど工夫しているところもある。的張りや垜整備をしながら感謝し心を澄ますことを学ぶのだからこのほうが大事だ。道場は学びの場であって単なる体育館、練習場ではないのだ。

最後に人間関係について少しだけ書いておこう。個人道場であるか市の道場であるかに係らず、人が集まるところだから様々な人間関係が生まれる。気の合う人合わない人もいるだろう。行き過ぎた行為があればそれは周りの人や指導者に相談したりして会員が使いやすい環境を作ってゆく事はとても大事だ。その意味では初心者も経験者も差別があってはならない。高段者だから経験者だからといって人格的に優れているとは限らない。初心者で教室に習いに来ている人で社会的に立派な仕事や経験を積んできた人も沢山いるだろう。道場では弓道を学びに集まっているという一点において相互に尊敬しあいながら接することが大事だ。何よりも大切なのは道場に通う誰もが完全な人間ではなく修行の途中にあるということを思い知ることだ。指導者であっても例外ではない。
私は以前弓道は如来というよりも悟りを得てもなお人々と共にある菩薩の道であると書いたことがあった。道場とは同じ弓道を通じて学び修行する人がお互いを認め敬愛する場であり、そうゆう場を築くところなのだと考えている。


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テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ