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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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弓を休む

 弓道をしていると忙しい。毎日の練習や連盟の例会、連盟が所属している地区の例会、各種射会。さらに講習会や審査と、スケジュール表の週末は弓道関連の行事で埋まってしまう。家族の理解と協力がなければ続けられるものではない。健康で経済的に安定した生活が送られること、家族の理解があること。これが弓道を続ける重要な要素であると思う。弓道を本当に続けたいと思ったら、仕事をし家庭もおろそかにせず、心置きなく弓を引ける環境を自分で作るよう努力するのも大切な修練だと思う。
 家族の理解を得るには、弓道を見てもらうのが良いと思う。試合の見学や練習している道場を見てもらうことで、理解は深まるだろうし、道場の人たちと挨拶することで、安心もするだろう。各地の神社ではお祭りにあわせて奉納射会も行われるから家族と連れ立って出かけ、地域で活動している流派の射を見学したり、出店での買い物を楽しんだりすることも出来る。地域の故事にまつわる射会などもあるから、家族に弓道を知ってもらう良い機会である。

 
 長い弓道生活のうちには、どうしても弓を引くことが出来ない時期もある。仕事の都合で忙しくなったり転勤したり、また、結婚して生活環境が大きく変わったり、出産と育児という問題もある。そういう弓を休む時に、どう過ごすのかは各自の問題であるが、工夫して続けている弓人もいる。先輩の思い出話に、道場に乳飲み子を連れて巻き藁台に紐でしばっていたなんていうのも聞くが、仲間の理解があっての話だろう。私は道場に赤ちゃんがいても気にならないし、みんなでお世話すればいいと思う。弦音を聞いて育てば良い弓引きになるだろうなどと勝手な想像をするのも楽しい。だが、現在の公営道場では難しい事かもしれない。


 私にも仕事の都合で弓を引くことが出来なかった時期がある。道場に行くことが出来なかったのに加えて、弓に触ることが出来なくなった。庭に巻き藁もあり、練習しようと思えば出来ないこともなかったし、実際、巻き藁練習をしていたこともあったが、あるとき、弓と会話をしていない自分に気づき、弓に触れられなくなったのである。殺伐とした仕事の中で、精神的に疲れていたのだと思う。私は弓を置き、弓道に関する一切、弓道誌をとることも止め、本を読む事すら出来なくなった。正直なところ疲れた心で弓に触るのは弓に対して失礼に思えたし、弓に叱られるように思えた。弓が怖かった。
 ただ、私は弓道で多くの先輩のお世話になっていたし、止める気持ちは全くなかった。なにより、弓を引く清清しさが好きだったから、なんとかして弓道の世界に戻りたかった。そして戻ることが出来た。
 少しずつ、心と体を弓が引けるように準備し、戻ってきた。幸い先輩方は今まで通りに迎えてくださったし、新しい仲間も一緒に弓を楽しんでくださっている。有り難い話である。


 様々な理由で弓を休むことがあると思う。他の趣味と出合ったり、弓道が自分に合わないと感じるようになる人もいるかもしれない。早気が直らず悩み弓を止めてしまったという話も聞くし、道場の人間関係で止めてしまう残念な別れもあると思う。それは、それぞれの人が経験する出会いであり別れだから、他人が口出しできる話ではない。
 ただ、休んでいるときに、もし心の中に弓を思い出すことがあるのなら、自分にとって弓道がどうゆう存在なのかをじっくりと落ち着いて考えてみる事をお奨めする。試合が楽しい人、審査を受けて段位を取りたい人、道場で仲間と練習したい人、いろいろな楽しみがあるが、貴方にとっての楽しみはなんであろうか。そしてどのような弓道人になりたいのか。そんな事をしっかり考えると良いと思う。弓道を再開したとき、その思索の有る無しによって、大きくその後の弓道が違うと思うのである。
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テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

審査を受ける

  【はじめに】
 審査は、日ごろの練習の成果を見ていただくもので、実力と可能性を評価していただくものである。上手に引いたり、的に中てて「これだけのことができます。レベルに達しているから何段をください」といって臨むものではない。 そもそも審査員の先生は、経験も眼力も高く、受審者がそのときだけつくろっても看破する。また、的に中ったからよしとするものではない。もっとも、中らなければ合格させたくても○のつけようがないので、狙いは確実にする必要があるのは当然である。 審査にあたっては、「これが今の自分ですからどうぞ見てください」という謙虚な気持ちで臨むのがよい。


  【澄まし】
  審査の準備として最も大切なのは「澄まし」である。射場に入る前の不安や気負いを取り除き、あるがままの自分を静かに現ずることが重要である。そのためには、道具の準備、服装、学科試験の準備などをきちんと確認することが大切で、チェック項目をつくり心に思い残すことの無いよう準備する。不安や準備不足があっては射に集中できないし、なにより、出来ることをやらずに審査に臨むのは不遜であり油断でありもったいないことである。


  【緊張】
  緊張は楽しむのがよい。そもそも審査に向けて練習し大切な時間と審査料を納めて受けるのであるから緊張しないわけがない。大切なのは、その緊張が「澄まし」とともにある静謐とした良い緊張であるかどうかであり、不安や準備不足からくる緊張であってはならない。適度な緊張のなかで引く射は漫然としたものを排し凛ととしたものを現ずる。 緊張からか受審者どうしでおしゃべりをする者がいるが、これは厳に慎まなければならない。気が乱れて射に影響するばかりか、相手はもとより周りの受審者にも迷惑である。挨拶をしたら、静かに黙して相手からも話しかけられないようにするのがよい。


  【体配・行射】
  射技審査は入場から始まり退場するまでが対象で、逐一見られている。体配の一足一呼吸をおろそかにしてはならない。審査員は射手が息合いで体配をおこなっているかを自ら呼吸をあわせて審査するほどである。審査会場でいきなり出来るものではないから、日々の練習で身に染込ませるのがよい。動作一つ一つは呼吸にあわせ、「決め」をつくり審査員に見てもらいわかってもらうよう心がける。慣れた動作だからといって漫然と流れてしまうとだらしなく見える。 一つ一つの動作に残心があると理解したい。行射では「中てたい」「上手く引きたい」といった気持ちを持つのは仕方のないことであり、欲のないところに工夫や上達はないから、この気持ちはこれでよい。ただ、気持ちにとらわれると汚い射になる。審査ではこのような気持ちを出来る限り腹の底にしまって何も考えないようにするのがよい。 何も考えないというのは、欲を抑え迷いを捨てることである。射法八節にのっとって、足踏みからはじまり、手の内の具合や弽の具合、引き分けでの力の配分、会での詰め合いと伸び合い、と確認しながら引くのがよい。射手が心の中で確認しながら引くと審査員の確認と呼応し、審査員に「わかって引いているな」と伝わる。体配での「決め」(残心)と同様である。高段者・称号者の審査ではその確認がどれほど身に備わって意識下に沁みているかを見られる。高段者になってまで、“私はここを確認していますよ”などと引いているようでは情けない。晴れの舞台である。踊るように引きたいものである。


  【失】
  準備をし、注意をして行射しても、時として筈こぼれや弦切れをすることがある。このような「失」のときでもあきらめてはいけない。「失」をしたら正しい処置をすることが大切で、審査員は処置が正しく行われているかを審査する。なにより、射手が「失」をしたことであきらめてしまうということは、自ら放棄したことであり、審査を受ける態度ではなくなる。退場するまで精一杯のことをするのが誠をつくすということである。 「失」ではないが、甲矢が的に中らなかった場合も同様である。「失敗した」「残念」といった気持ちは態度に表れるとともに、乙矢にも影響する。心の底にとどめ、一箭に集中することが大切である。


  【他の射手の失敗】
 行射では、大前の先導にあわせ射手どうしが呼吸を合わせることが重要である。しかし、他の射手が体配で間違った場合にはこれに合わせる必要はない。呼吸が合わないまま急いで進まれたり、揖をせず射位に進んだり、本座や射位を大きく間違って座った場合には続く射手はこれに習う必要はない。ただし、同じ立ちの調和を乱す事のないよう心がけなければならない。 どのように修正するかも大切なポイントである。高段者の審査でも、肌脱ぎをせずに本座から射位に進もうとしたり、弓を立てるのを間違ったりすることがたまにある。普段の練習を通じて体が自然と動くようにしながらも、意識して確認するようにするとよい。また、他の射手の失敗にもあわてないよう心の余裕を持つことが大切である。


 【学科】
 学科試験は普段から、『弓道教本第1巻』をよく読んでいれば問題はない。射技や体配についての問題にも、普段の練習を思い浮かべながら、教本に書かれていることを思い出して書けばよい。ただ、独自の理屈や意見を書くのはいけない。教本に教えられていること、キーワードを用いて回答するように注意する。
 以前は、『弓道誌』に学科問題が掲載され模範的回答が紹介されていたが、最近は無い。復活を望むところだ。受審者どうし先輩などから情報を集めると出題傾向が分るから、事前勉強をするのも大切である。勉強する際には、問題と回答を何回も紙に書き、書いたら音読するようにする。これを何回か繰り返すと手と耳を使って記憶する事が出来、効果がある。筆記具も試験と同じように鉛筆を使う。


 【まとめ】
 審査は弓道の修練を重ねてゆくための重要な節目である。自分と向き合う武道であるから、段位が高くなったから称号をもらったからといって、他の射手と比べて勝っているわけではない。段位には段位に応じた射があり、それを精一杯行い、自分に目標を課しているかが大切で、その節目に審査を通じて確認していただくのである。 審査は段位や称号をもらうために受けるのではなく、普段の練習の成果、将来への可能性を見ていただき、評価をいただくものである。その意味においても、気負い勇むことなく、ありのままの自分を見ていただくという謙虚な気持ちと、精一杯のことをするという礼を尽くした姿勢が大切である。審査員は、決して落とすために見ているのではなく、射手のよいところを見たいと願って審査している。これに応える意味でも、至誠の心を肝に銘じ、体配行射を行い、悔いのない、自らに恥じることのない審査を受けていただきたい。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

十牛図 円相について

ある勉強会の席で円相について話題になった。
いわく、「円相という言葉が弓道教本に出ているのは執弓の姿勢に関してであり、弓構えで円相という言葉を使うのはよろしくない」というもの。私はこの考えに違和感を覚える。
理由として、まず“本に書いてあるのが正しくて書いていないから違う”という趣旨の発想は自らの思考研究をとじるもので、いかにもお粗末なものだと思う。本に書いてあろうがなかろうが、基本にたちかえり正しければ、大いに研究議論するのがよろしい。そこから新しい発見があり発展が生まれる。
つぎに、“執弓における円相”の姿形は筋肉の働かせ方、気構えのありようの両方において、執弓にとどまるものではなく、射場への入場からはじまり、行射の運行、退場にいたるまで続いているものである。円相も続いているのであるから、弓構の場面で使っても問題はないと考える。
さらに、“円相”とは見た目の姿形のことだけではなく、心のあり様をも言い示す言葉である。そう考えてゆけば、“円相”は弓道のすべての場面で使ってよい言葉とであると言えよう。

以下、十牛図を手掛かりに円相について考えてみた。
「杣人のNuages」に書いたものであるので、そこにリンクしてある。


弓道・・・円相・十牛図に学ぶ 2010.3.5

弓道・・・円相・十牛図に学ぶ (その2) 2010.3.6

弓道・・・円相・十牛図に学ぶ (その3) 2010.3.6

弓道・・・円相・十牛図に学ぶ (その4) 2010.3.7



テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

メンタルトレーニング

 メンタルトレーニングへの理解は最近のことで、スポーツの世界ではオリンピックを通じてロシアや東ドイツの選手の活躍によりアメリカやカナダのチームがメンタルトレーニングを取り入れたといわれている。日本では1984年のロサンゼルスオリンピック以降選手やコーチによる個人レベルでの導入が始まりである。最近試合の実況中継などでイアホーンをしている選手を多く見るようになったが、「なんだ、大切な試合の前にたるんでいる。集中しろ。」とは思わないで欲しい。これも重要なメンタルトレーニングの一つで、選手それぞれが緊張を解き競技に集中できる方法を試しているのである。
 では、メンタル(心)をトレーニング(鍛える)するというのはどうゆう事なのか。


 【心】
 心の探求は人間にとって古くからのテーマである。魂や霊魂と同一または呼応するものと考えられ宗教的に把握しようとされたり、行動現象を心の働きによって捉える心理学的理解、近年では脳科学や神経学の発達から心を捉える試みがされている。確かに脳神経による認識や感覚、感情の発生などは心と密接な関係があるといえるが、まだ医学の領域は蓋然的で哲学的アプローチによる理解が必要だと私は考えている。
 心に対する様々なアプローチは心も少なからず肉体と同じように捉える事が出来、理解出来る事を明らかにしてきた。脳神経の研究、薬物治療の研究は心の問題に多くの発見をしているが、重要なのは自分自身でコントロールしトレーニングすることが出来るという事である。実は、私たちは心のコントロールをごく自然に行ってる。笑ったり泣いたり怒ったり・・・これら感情はとても自然な心の調整で、意識的に感情を表出すれば心を動かせるという事でもある。笑って過ごせば幸せになるし、何時も怒っていれば怒りっぽい人になる。時にはわざと泣いて(映画や本を読んでもいい)悲しい気持ちを吐き出させたりもする。心はコントロールすることが出来、コントロールの積み重ねがトレーニングにつながっていくのである。


 【平常心】
 武道では心・技・体の完成を求められ、弓道でも三位一体、身体の安定、心気の安定、弓技の安定が合一して一体となることを修練の眼目としている。では心気の安定(心志の安正)はどうすれば求めることができるのか。よく言われることに平常心がある。試合には平常心で臨めというように、普段の状態の心をさして言うが、怒りっぽい人や気の弱い人の平常心はこれでいいのかというとそうではないであろう。平常心とは常に平らかなる心と理解するのがよいであろう。私は、ニュートラルな心を作るようにと言っている。さらに言えば自然体の心なのだが、喜怒哀楽のどちらかに偏るのではなくニュートラルであれば心は自由で、感情や思考、周囲の状況に支配されることが少なくなる。
 たとえば、嬉しい事があると心は嬉しいと感じその感情を表出しようと働く。この時もし怒っていたら嬉しい事を感じるのに怒りの感情は障害になる。怒りながら食事をしても美味しくないのは、怒りが美味しいという感覚にブレーキをかけてしまっているからである。弓道で言うなら、射の不安は練習で培った自信や中てようという気持ちにブレーキをかけてしまう。もちろん、これを乗り越えて中てるということが大事だが、基本は不安を感じないことである。
 ではどうすれば不安を感じないようになるのか。これには二つの方法がある。一つは練習によって中る実績、経験を心に記憶させる事、もう一つは中てたいと思わない事である。一つ目は自分に安心感を持つことである。実績に裏付けられた自信は安定した心を作る。「勝ち癖」などもこれにあたり、勝った事、ポジティブな記憶は不安を退けプラス思考の連鎖を作る。では“中てたいと思わない”というのはどうゆうことなのか。実は中てたいという思いは、中らないかもしれないという気持ちを反対側に持っている。この心の振幅が不安を作るのである。だがら“中てたい”とか“上手に引きたい”という思いを捨て、やるべき事を丁寧にやって弓を引くのが不安を生まない技だといえるのである。


 【心のキャパシティー】
 では中てたいという気持ちは弓道には必要ないのか。よく的にとらわれるなとも教えられるから、中りを望まなかったり、中る喜びを感じないのが良いのであろうか。私はそうは考えていない。逆に最大に欲張って“中てたい”と思う事が大切で、自分が欲張ったときに生まれる心の変化や不安をしっかり見極める事が重要だと考えている。自分の欲や不安を知れば、それを排除する方法を知ることが出来るからである。
 私は審査や試合でほとんどあがるということがない。もちろん少し緊張はするが、どきどきしたり不安になったりといった事は感じない。これは私が人前に出ることに慣れていること、やるべき事をやるだけと腹をくくっていること、そして弓を引けることに感謝しているからである。健康で戦争や災害など個人の責任を越えた環境によって生命の危機にさらされているわけでもない。少々失敗したとしてもそれによって命を奪われるわけではない。そう思うと弓を引ける幸せに感謝し、自分のやりたいように伸び伸びと弓を引くことが出来る。
 そんな私でも練習での心は何時もぐらぐらしている。仕事や生活の様々なことを引きずりながら射がばらばらになっていることもあり、心の中にざわついたものがあってどうしても取れない時もある。そうゆう時は練習に集中し心を見続けるしかないと自分の未熟さを反省するばかりである。
 心気の安定(心志の安正)は大変難しいテーマである。無の境地などを言い「弓道は立禅」という表現をされることもある。だが私たちは人間である。身の回りのことに気を配り、感じ、感動していいと思うし喜怒哀楽を楽しんで良いと思ってい。その結果様々な感情に揉まれるかもしれない。だが、それを受け入れる大きな器を心に用意し、右往左往しながらも翻弄されることがなければ、感情の起伏は些細なことになってゆく。この心のキャパシティーを徐々に育てて行くことがメンタルトレーニングではとても重要であると私は考えている。

テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

トレーニング

弓道の練習は週に何日ぐらいするのだろうか。私が20代の頃には毎日のように練習をしていた時期があり、年末に手帳を見たら363日道場に通っていたのを知って我が事ながら驚いたことがあった。さすがに現在は週3日ほどだが土日には月例会や射会などがあり、その前後は矢数をかけている。私にとっては適度な練習量である。
 大学の弓道部のように試合で中る事が必須である選手、社会人で国体選手に選ばれた方などは別としても、弓道は個人での練習が中心であるから、時間に余裕がある方はその気になれば毎日のように練習をすることが出来る。練習量は本人次第なのである。ある範士の先生が「会社勤めをしていたころに朝出社し仕事前に20射、昼休みに20射、仕事を終えてからの練習で20射と毎日60射を練習していた」と講習会で練習の大切さを説いていたが、それも志と環境があってのことだろう。以前は弓を引きたいので学校の先生になったとか公務員になったという話を聞いたことがあったが、今、教師や公務員の仕事の忙しさを思うととてもそうゆうことは言えない。
 練習量は上達の要である。だが練習量を維持するためにはスタミナと筋力が必要である。では弓道の上達のためにはどのようなトレーニングが必要なのであろうか。トレーニングについて考えてみたい。


 アスリートは不健康
 アスリートは不健康だと言ったら驚くだろうか。世界的記録を目指すスポーツ選手、トップアスリートと呼ばれる彼らは時に英雄として讃えられ、その姿には感動を覚えるし尊敬をもって競技を見る。もちろん立派な成績の蔭にはしっかりした練習の積み重ねがあるのだが、彼らの肉体は試合やレースに勝つために調整され徹底的に作られたもので一般的に言う健康な肉体というのとは違う。マラソンの選手はフルマラソンが走られるぎりぎりの肉体とスタミナのコントロールをするし、体操の選手は疲労骨折への不安を抱えながら練習し、女子の選手はホルモンバランスが崩れることに注意しなければならない。競技の日に向けて体を仕上げながら精神のバランスを保つことにも注意をはらわなければならないからメンタルトレーニングはトップアスリート必須の課題である。 
 私は健康維持のためにスポーツジムに通っている。あくまで年齢に応じた運動を心がけているが、それでも時として体を絞りすぎると疲れやすくなって昼寝が必要になったり、栄養補給に食事の回数が増えたりする。健康な体と疲れやすい体の境界は近接していて、体を維持するためには注意とメンテナンスが必要不可欠である。スポーツトレーナーなどの協力者がいなければ、普通の生活ではアスリートのようなトレーニングは困難であるし、決してアスリートが健康的とは言えないのである。
 弓道でも審査や重要な試合を目指して練習しているときには、普段以上に健康管理に気を使う。人それぞれ練習の組み立て方や本番に向けた気合の高め方など工夫があることだろう。だがそれも日常の生活を送りながらの事である。また、日常の生活とともにあってこその弓道であろうから、弓道においてはトップアスリートのような練習は弓道の本旨と違うのではないかと考えている。


 スタミナ
 弓道の練習の場合アスリートのような記録を出すための体作りというのは必要無いと考えている。もちろんトレーニングを否定しているのではない。安定した射が出来る練習量と、一日の試合と競射に耐えられるスタミナ管理、そしてメンタルトレーニングが重要と考えている。弓道では瞬発力を必要とした筋力は使わないが、体幹を鍛え維持する筋力は必要であり、集中力と緊張を自らに要求するからスタミナは重要である。体のエネルギー、スタミナというのはあるレベルを超えるとストンと切れるように無くなるから、どんなに本人が“こうしたい”と思っても一旦スタミナが切れると体は動かなくなる。集中力もスタミナの消耗とともに低下するので、気持ちと体とはかみ合わなくなり事故や怪我を起こしやすい。精神論では体は動かないのである。
 トレーニングで大切なのはスタミナ管理を知ることである。自分の体力がどのくらいあり、どれだけの練習をしたらスタミナが切れだすのか、補給のタイミングは何時か。練習や試合経験の中から自分にあった食事の時間と量を知ることが大切である。私の場合は軽い朝食を必ずとる。試合で午前中に一手引くとして午後は立ちが遅いから、たいていは一手引いたら昼食をとるようにして午後引き始めるころには消化が終わっているようにする。早弁当に見えるだろうが気にしない。少なくても立ちの1時間半前には昼食は終えているようにしている。大抵はおにぎり。米のでんぷん質は消化吸収が早いから胃腸に負担をかけない。お餅はさらに良く、まさか控え室でお餅を焼くわけにはいかないが脳の働きを助ける糖分が摂れるからお汁粉などは理想的である。ちなみにお餅100gあたり235kcal、ご飯100gは168kcal。チョコレートやお団子などの御菓子も効果的である。


 筋肉トレーニング
 筋肉トレーニングは必要かと聞かれたら、私はほどほどにと答える。筋肉は体を支える大切なもので年齢とともに落ちやすくなるから、普段から筋肉を刺激し鍛えるのは良いことだし、筋肉トレーニングをしていると怪我や事故の予防に役立つ。腹直筋や広背筋、上腕三頭筋や三角筋、大臀筋などは弓道に関係する筋肉である。しかし弓道で筋力をトレーニングするのは体幹を支え筋バランスを良くする為で、腕や肩の筋肉を鍛えたから弓が引きやすくなったり、強い弓が引けるかといったらそうではない。肩関節のインナーマッスルを鍛えるのもよいし、骨盤から脊椎につながる脊椎起立筋を鍛え、胴造りの安定を図るのも弓を引くには効果的である。骨法をいうまでもなく、筋力で弓を引こうとすると筋肉を傷め結果として弱いところを庇ってバランスを崩し射が変わってくる。高段者の方でも年齢とともに筋肉の疲労はとれにくくなる。練習量を維持したいという気持ちはあるだろうが、無理をすると弊害が出てくる。休むことも練習だと心得ることが肝心であろう。
 日常的に軽い筋肉トレーニングをするのは良いが、試合前の筋肉トレーニングはいけない。筋肉は細胞が破壊されて回復するときに増強されてゆく。普段の練習で作ってきた筋肉もトレーニングで壊され、増強の際には硬い筋肉になってしまう。結果伸合いが狂う。特に三角筋や上腕筋のトレーニングは控え、どうしてもやりたい場合は腹直筋や広背筋、大腿四頭筋などの筋肉トレーニングをするのが良い。
 私も利用しているが、スポーツジムにあるマシーンによる筋肉トレーニングは注意が必要である。マシーンで負荷をかけながらトレーニングをしているとついつい強い負荷をかけたくなる。負荷を強弱織り交ぜながらトレーニングをする場合もあるので強い負荷を否定はしないが、往々にして間違った筋肉を使ってしまうケースもあり、ジムでトレーニングをされる方はスタッフに時々見てもらい、フォームチェックをしてもらう事が必要である。慣れてきたらマシーントレーニングよりも自分の体重を使った筋肉トレーニングをするようお勧めする。
 筋肉トレーニングをした後はきちんとアイシングをして熱を冷ますことも大事である。疲労物質が溜まると故障の原因になる。
 よく誤解するのにストレッチやマッサージがある。筋肉トレーニングの後のストレッチやマッサージは硬くなった筋肉を柔らかくするのに効果があり筋肉も伸びやすくなる。しかしこれも程度の問題で、やりすぎたストレッチは筋肉に疲労を与える。間違ったストレッチをすると筋肉を痛めるから、やはりスポーツジムなどのプログラムに参加して憶えるのが良いと思う。マッサージも刺激の伝わり方が変わり、弓を引くときの筋肉の働きや感覚が変わってしまう。私は試合の3日前ぐらいからは強いストレッチや全身のマッサージはしないようにしている。


 メンタルトレーニング
 弓道は心と技とのバランスが大切だと考えている。アスリートのメンタルバランスにも通じることであるが、弓道では心気の働きによって体が動き射が活きてくるのであるから、心を知る深い洞察が必要であると考えている。自分の心の中を読み、整え、心を働かせるトレーニングが必要である。
 弓道におけるメンタルトレーニングについてはページを新たにして考えてみたい。


テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

澄まし

 射を行うには、気構えが必要である。これを澄といい、三つの場合がある。実射にうつる以前の澄を「前の澄」といい、短くいえば数分または数時間、長くいえば数日或いは数ヶ月前から潔斎するとか、道場内で態度精神を整え落ち付けることであり、実射の時の澄を「中の澄」といい、最も心身の調和統一のとれた状態である。射終わって退場するまでを「後の澄」といい、やはり態度気構えを乱してはならない。そして前後の澄は狭義には射の前後の場合であるが、広義に解すれば、日常の生活にもこの澄が必要なのである。ここに「射即人生」の意義がある。(教本2巻p53千葉胤次範士)


 行射に際しては、美しく整った正しい姿勢で臨まなければならない。弓矢を手にした執り弓の姿勢が先ず第一に凛然たる姿であり、内心を正しくして射位に立つことが肝要である。そして、行射の進行につれて三つの澄しを忘れてはならない。執り弓の姿勢で控え、射位に至って跪坐するまでは初めの澄しであり、足踏みから弓構え・打起し・引分け・会に至るは中の澄しであり、心身ともに十分伸合って遂に自然の離れを導き出し、弓倒しを終り、退坐するまでを後の澄しと考えるのである。かくの如く、外は体姿従容として迫らず、内に精神の澄しが伴って射が行なわれるところに、弓道としての真髄がある。(教本3巻p27高塚徳太郎範士)


 いきなり、教本から「澄まし」について引用紹介させていただいた。審査の学科試験で「心を澄ます方策について述べよ」という設問があり、私はこの問題に少々悩んでいるからである。学科で「澄まし」が出題されると、上記の千葉範士、高塚範士の教えを記することになるが、実は設問は「方策について述べよ」であり、教本には方策については記載されていない。「射における澄ましの重要性と三つの澄ましについて」というような設問なら教本の内容でも良いのであろうが、方策を問われた場合にどう回答するのがよいのか・・・審査では書けない私の回答を考えてみたい。


 実は、私は「澄まし」が好きである。気持ちがいいからであるが、家を出て道場に向かうとき、道場に入って挨拶をし弓を用意しているとき、行射のとき、いたるところに「澄まし」はある。弓道ではないが、職場などでも一つの仕事を終え、次の仕事に移るときに机の上を片付けて新しい仕事の準備をする。これも「澄まし」の一つだろう。
 「澄まし」とは心を整える作業である。色々な思考思惑を整理し、自分の心の在りようを感じられるようにする作業だと思う。自分の心の中を見、射に不必要なものを排すること。慢心を押さえ、不安を除き、修練を確認すること。これが「澄まし」の一つである。「審査を受ける」の項で、「澄まし」には学科や道具の確認が大事と書いたが、これら一つ一つの確認は心を整えて行く作業なのである。
 「澄まし」の二つめは、道場との対話である。射はたとえ射場に自分ひとりだとしても、勝手に引いていいものではない。道場内にゴミや行射に障害となるものはないか、的や垜はきちんとしているか、そうゆうことを確認する作業、道場と会話する作業が必要である。道場は射手が心と体を用いて射を行う舞台である。その道場と射手が気持ちを通わせないで射はありえない。だから、弓を張ったら垜や矢道に水をまいたり、草をむしったりしながら道場と会話をする。道場は建物であるが、そこには明らかに気がある。毎日の練習をしている弓人達の気、先生の気が残って満ちている。そうゆう気に守られていることを感じ、感謝できるように心を整えること。これが「澄まし」の二つめだと考えている。
 三つめの「澄まし」は無と自己との対話だと考えているのだが、これはまた別のところで書くことにしたい。
 

 ある初心者講習会で、「澄まし」が大切ですという話をしたところ、「澄ましはどうしたらできるのですか」と質問を受け、一緒にいた方が「座禅の呼吸をするといい」というアドバイスをされた。確かに、呼吸を整えるのは重要である。弓道の練習に座禅を取り入れている学校もあると聞く。だが、私の考えている「澄まし」は少し違う。
 私は「澄まし」が自然に出来るようになるには、掃除をする習慣を身につけることが良いと思っている。玄関や部屋の掃除、机の掃除・・・、掃除はものを奇麗にすると同時に自分の心を奇麗にする。子供なら、部屋をかたずけたり玄関や庭の掃除を手伝い褒められながら掃除を覚えてゆく。手伝いをするうちに、掃除をすると気持ちがよく楽しいということを覚え、親に言われなくてもするようになる。人の目に触れないところも掃除するのは、自分が納得し楽しむためで、汚れを残しておけばたとえ見えなくてもその汚れは心に残り清清しい気持ちにはなれない。汚れを落とし奇麗にし、在るべきところに物を置く。掃除は「澄まし」と同じだと思う。


 『テーラ・ガータ』(長老偈経)という仏典にチューラ・パンタカという出家の話がある。憶えの悪い彼に、仏陀は「なにも憶えることはないから、布切れをもって人々の履物を浄めることに専念しなさい」と命じたという。そして彼は教えを受けにくる人たちの履物を拭うことに専念し、とうとう仏陀の教えを会得することが出来たというのである。それは「人の心も汚れやすいもので浄めることは難しい。だからこそ、心を清めることに専念しなければならない」という教えであった。


 私が名古屋で審査を受けた時のことである。学科審査の担当をされていたK範士から「今、手洗いに行ってきたらサンダルが脱ぎ散らかっている。礼を重んじる弓道で審査を受けようとする人がそのようなことではいけない。」と注意があった。実は私も手洗いでそのことに気づいていたが、自分のサンダルはそろえたものの他を整えるまではしなかったので、反省を深くしたのを憶えている。心に従い動けるようでなければいけないと思った。


 「澄まし」に関連して仏典と私の経験から記させていただいたが、掃除をしたからといって弓が上手になるわけではない。だが、掃除、身だしなみ、言葉使いを整えることは全て自分の心を整えることであり、邪心を排し心に隙を作らないことである。これをいい加減にして、弓道の時だけ「澄まし」をしましょうといっても出来るわけがない。心の動きは射に現れるのである。弓道のために「澄まし」をするのではなく、自分の姿形、心を正しく整えるために普段から「澄まし」が出来るように心がける。そうゆう日々の心がけが弓道にも活かされてくると考えている。
 だから、「心を澄ます方策について述べよ」と問われたら、私は迷わず「掃除をしましょう」と回答するのである。

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リンク集【その他】

リンク集【その他】

【1】 素材


【2】 iya式


【3】 ゲーム


【4】 弓道


【5】 弓道シミュレーションゲーム


【6】 その他


【7】 工房いるか


【8】 島津家伝統弓


【9】 弓祭り


【10】


ここをクリックすると→ リンク集目次へ 行きます。

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リンク集【流派】

リンク集【流派】

【1】 小笠原流弓馬術礼法

【2】 小笠原流鎌倉古式弓道保存会

【3】 武田流弓馬道

【4】 ようこそ流鏑馬の世界へ

【5】 heki_to_ryu ~日置當流の歴史~

【6】 由美ごころon line

【7】 日置流弓術印西派(大洲系)

【8】 日置流腰矢指矢

【9】 浦上同門会 北九州支部

【10】 鳥取藩 一貫流 弓術

【11】 本多流(財団法人 生弓会)

【12】 朝嵐 弓道・本多流を求めて

【13】 古流探訪

【14】

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【7】 キヤノン弓道部


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【10】 全自衛隊弓道連合会ホームページ


【11】 ダイキ株式会社 弓道部


【12】 弓道部 中国電力


【13】 東海郵政弓友会


【14】 東京都弓道連盟第二地区郵政支部


【15】 北海道中央地区教職員弓道連盟ホームページ


【16】 前澤病院弓道部


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