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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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弓を打つ、弓を撃つ?

NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見た。タイトルは“言葉の海で、心を編む~辞書編さん者・飯間浩明”というもので気鋭の辞書編纂者・飯間浩明さんの仕事を紹介するものだった。飯間さんは“言葉ハンター”の異名を取るフリーの辞書編纂者で、街で見かける言葉を書き留めたりSNSなどネットの中で日々生まれる言葉を集めている。

辞書の話題というのは国語辞典の大きな改訂がなされるとニュースで取り上げられるので興味を持つ人もいるだろう。最近では岩波書店の『広辞苑 第七版』(2018年)は10年ぶりの改訂で話題になったが同時に『新明解国語辞典 第七版』(2011年)、『三省堂国語辞典第七版』(2013年)などにも注目が集まった。一般的にはそうそう買い替えるものではないが、中には改訂ごとに買って読み比べる人もいるだろう。
石井裕也監督の映画『船を編む』(2013年)は辞書編纂者を主人公にしたもので、三浦しおんの原作。私は原作を知らず映画のCMで作品を初めて知った。松田龍平、宮崎あおい、黒木華といった若手人気俳優を起用しているのも嬉しい。ただ、『船を編む』というタイトルは原作ともに分りにくいだろう。

『言葉の海へ』高田宏著(1984年)という本がある。国語の統一こそ一国の独立の標識。日本が近代国家となるためには国語辞典の存在が大切と明治24年に独力で我が国初の国語辞典『言海』を完成させた大槻文彦の伝記だ。グリム兄弟によるドイツ語辞典、ジェームズ・マレーのOEDと世界には辞書編纂に情熱を捧げた学者がいる。大槻文彦は日本における嚆矢。その彼の辞書『言海』を知らなければ『船を編む』のタイトルは分かりにくい。

現代の辞書編纂者飯間浩明さんには気になっている言葉があるという。「的を射る」と「的を得る」で、「的を射る」は正しいが「的を得る」は「当を得る」と混同した間違った使い方という説に疑問をもっているという。番組の中で飯間さんは編集者会議の席で「(誤用という)冤罪を晴らす」のも辞書改訂の大切な意味だと主張するが、出版社編集部からは利用者の感覚を大切にしなければ辞書そのものの評価が下がるという指摘を受ける。飯間さんは用例を探し古い文献にあたり「的を得る」という使い方が古くからあったことを見つけるが、同時に語釈を工夫し判断を利用者にゆだねる。

さて、弓道の話を書いているブログに何故辞書の話を書いているのかというと弓道に関係した言葉も集めて見ると面白いと思うからだ。よく初心者への案内に「かけがえのない・・・」「手ぐすねを引く」など弓道から一般的に使われるようになった言葉の紹介がある。弓道を身近に感じてもらうためだ。もちろんそうゆう言葉も面白いのだが、私が今回思ったのは「弓をうつ」という言葉だ。
私は東京で弓道を始めたが、「弓は射ると言って撃つとは言わない。鉄砲じゃないんだ。」「弓を打つというのは弓を作ることを言う。」と習った。「打つ」という言葉には「刀を打つ」「そばを打つ」「能面を打つ」など作るという意味がある。ところが当地に来たら「弓を撃つ」と言うのが当たり前に使われている。高段者や年配の経験者も使っていることから何らかの背景があるものと推測する。
そこで妄想が始まるのだが、当地は鉄砲隊で有名な長篠の戦の土地に近い。鉄砲を撃つという言葉が弓にも転用されたと考えることは出来ないだろうか。そうだとすると織田信長が活躍した地域現在の中部地方に「弓を撃つ」という言い方が広まっていると考えられる。中部地方、愛知、三重、岐阜、静岡はブロックとして大会など交流があるから調査することは可能だろう。調査すれば面白い事が分かるかもしれない。ちなみに「射つ」と書いて“うつ”と読むと「大辞林 第三版 - 撃つ・射つの用語解説 - ( 動タ五[四] ) 〔「打つ」と同源〕 (「射つ」とも書く)矢や弾を発射する。」とあるそうだが未確認。アーチェリーで使われているとの説もあるが本当だろうか。

言葉は生き物だ。言葉を使う人、土地、時代によって姿を変えながら繋がってゆく。だから言葉の使われた変遷をたどれば過去の人々の様子が見えてくる。弓に関係した言葉をたずねることで今の自分の姿を知る事が出きる。
言葉を知ることは弓引きにとって大切で楽しいことである。


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テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

審査で落ちた時

当地弓道には過ごしやすい天気が続いているが、ニュースではそろそろ梅雨の話題も出ている。カケや握り皮は湿るし弓の成りも狂いやすいから注意が必要だ。袴や帯も私は練習が終わると陰干しするようにしている。

今回は自戒の意味を込めて審査に落ちた場合の事を考えてみよう。
私は審査は自分の弓道の道程のうえでの節のようなものだと考えている。初心者で弐段参段を受けている頃なら早く段位を取ったり上手になって上の段に進みたいという欲もあるだろうが、四段五段を受ける頃なら昇段したい気持ちの一方で正しい弓を知りたいという気持ちが育ってゆかなければいけないだろう。
確かに審査を受けたいという気持ちは弓の練習の励みにもなり“申し込みをすると弓が上手くなる”と言われる所以でもある。しかし練習は日頃から正しい弓とはなにかということを考え、自分の今やっている姿は正しい弓に照らして間違っていないかという反省を重ねる作業だ。昇段するために練習するのではないことを審査を受ける人は今一度考えてみなければならない。

私はスムーズに昇段した方だった。先輩から「何も勉強していないのに段位ばかり早く上がって」とからかわれた事もあった。錬士の称号も長く弓を休んでいたにも関わらず再開した年に受かった。しかし当地に越して来て射形を大きく変えたことからそれまで思いもしなかった悪癖が生まれた。何回か六段を受審したが受からずこれではだめだと深く思い審査を受けるのをやめて練習に徹した。中りを求める気持ちが強いので試合に出れば中ててしまうことから射形を直す弊害と感じ近隣支部の試合から遠ざかったことすらある。先生の許しが出るまで審査は受けまいと思った。
それは思いのほか長く苦しい年月だった。講習会に出るたびに落ち込み自分は弓を引いてはいけないのではないかと思った。弓を引かなければどれほど楽かと感じたし、他の趣味だけでも十分に楽しい時間は過ごせると頭の隅で考える事もあった。
しかし、弓を止めることは出来なかった。これまで指導していただいた先生や先輩に対して申し訳ないという思いもあるが、何よりも正しいものを求める事をあきらめるということは生きてゆくことから逃げることだ。そんな負い目をもって生きてゆくのは情けなく自ら生きる意味を捨ててしまう事のように思った。

私はプライドの高い人間である。自分の考えや行動に規範をもっている。一方で“これは本当だろうか”“このことは正しい事だろうか”“根本的考え方に照らして間違っていないだろうか”といつも自分の考えを反省する僅かな勇気も持っている。
この姿勢は弓道の練習においても役に立つ。練習しているとこれかなと何かを分かったような気になることがある。中りもよくなり自信もつく。しかしそのまま続けることは危険だ。これは基本に照らして正しい事なのだろうか、この考え方やり方でいいのだろうかといつも自分の射を検証する。そうしないと分かったつもり上手になった気になり“これでいいんだ”と安心してしまい正しい弓を見失う。それには自分で自分を否定し今の射を捨てる勇気を持たなければならない。今の射を捨てて基本は何かを考えて組み立て直してみることで新しい発見をすることの方がよほど真実に近づく道だ。自分のこれまでの練習を一旦捨てて一からやり直して見る。
自分の射を見直す時は自分より低段者だったり年若い人でも親しい仲間に頼んで見てもらったりする。段位や経験年数は関係なく他人の良いところを見つけたらどうして上手なのかを考えて、取り入れられるものは取り入れる。遠慮もプライドもいらない。良いものは自分のものにしてしまえばこっちのものだ。若い人のひたむきな射はとても参考になる。

審査を受けている人の話を聞いていると、中らなかったから受からなかったと言う人がいる。確かに射形もよく中っていれば合格しただろうにと思う人もいる。一方束っても合格しない人もいる。こちらの方は射の内容が悪かったのだとストレートに分かるから反省し練習することが出来る。問題は中らず落ちた人だ。本当に中らなかったのが落ちた理由なのだろうか、中れば合格したのだろうか。謙虚になって考えてみなければいけない。

審査は道程のうえでの節だと最初に書いた。受かろうが落ちようが練習し自分の弓道修練を続けてゆかなければならない。合格することと上手になっていることは別の事で、合格したらなおさらの事に基礎から見直して練習をしなければならない。
錬士になったばかりのころに講習会で「弓道が上手くなることを山登りに例える話があるが、今の山を下りてもういちど麓から登らなければ次の高い山に登れないだろう。」と講話された先生がいて私の心に残った。
合格してそうである。不合格だったならば猶更だろう。今の練習を一度捨ててもう一度根本からやり直してみる。足踏み、胴づくり、呼吸や体配の一つ一つを全て見直してみる勇気。私はこれでここまで来たのだから、ではなくもう一度基本からやり直してみようという謙虚な気持ちが正しい弓につながるのだと考えている。今までの練習の上に積み重ねてゆくのではなく、基本からやり直すことで正しい道を知るのだ。

謙虚な気持ちで練習をした先に審査が待っているのだと思う。

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ちょっとお休み

日曜日、私の支部の射会が行われた。先生が審査員席に座り優射賞を選ぶ大会で近隣の支部で活躍する弓仲間にとっては先生への敬愛と緊張をもちながらも楽しみにしている射会だ。「先生に見て頂いていると思うと緊張して・・・」と仰る方もいる。

私も今やっている練習を先生に見て頂きたいという思いを胸に参加した。しかし結果は散々なものに。「杣人さんは昨日垜直しをしたからね」と慰めを云って下さる方もいたがそうゆう言い訳も通じない成績だった。何時ものように成績とその反省を書きたいところだが、書くほどのものもない。なぜならば失敗の理由は体が入らないという一つの理由だけだからだ。
打ち起こした時に体が縦に伸びてゆかず、腰も入らず、引き分けても弓と一緒になることが出来ない。そんな会で中るはずもない。
何故こんなことになったのかと言うと朝3時に目が覚めてしまいそのまま起きて撮りためたビデオを見ていたからだ。途中体に眠気が来たので寝よう寝なければだめだと思い布団に戻ったがやはり眠れずまた起きだしてビデオを見る。しかも少し注意力のいるビデオだったためますます目が冴えてそのまま道場に行く時間になってしまったのだった。

ということで散々な結果ではあったが、午前中肌寒かった天気も雨になることもなく弓仲間さん達の協力でスムーズに進行し無事に終えた。先生が選んだ優射賞の方には熊本から届いた大きなスイカが賞品として渡された。

私の支部の参加賞は恒例となっているシラスだ。道場近くの港に水揚げされ加工業者も軒を並べるから当地道場の賞品として皆さんに喜ばれている。茹で上げられたシラスはふっくらと柔らかく美味しい。生シラスや縮緬雑魚とはまた違った楽しみがある。



美味しいものは美味しいうちに食べようとパスタにして頂いた。(食べ物の写真は難しい)

これにて反省終了。
来週は隣の市の射会。去年私は優勝しているので、気合を入れて臨まなければいけない。今度こそ確り睡眠をとって練習の成果を出せるように頑張ろう。実はこの射会にも先生が審査員席にいらっしゃるのだ。






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イメージする射

過ごしやすい日が続いているが、そろそろ梅雨も始まるそうだ。当地では地域支部が主催する大会があちらこちらで行われ毎週どこかに出かけることになる。朝夕の天気予報を気にしながらの生活がしばらく続く。

審査や全国大会となると数か月のスケジュールを組みながら練習やメンタル面の調整を図る。しかし毎週のようにある支部大会ではそうはいかず練習の成果の確認をするといった意味合いをもって参加させていただいている。普段の練習で心がけている事、上手く出来ている事が勝負事の大会でも同じように出来るかどうかを確認する。その意味で先日の大会は入賞はしたが不本意な内容だった。
まず、昨年の成績を意識して“中てなくては”という思いが強かった。そうなると私の悪癖が出て中りはするものの射形が乱れる。今のところ私の一番の課題はこの射形の乱れで、これさえなければ悩みはないのだがなかなか克服することが出来ない。講習会で狙いを指摘されたり、矢をつがえる位置を直してみたりと色々な事を指摘されては試しているが決定的な解決法が見つからない。中学生や高校生の試合の様子を見ながら羨ましく感じたりすらする。

私は弓道を始めた当初から頭の中に映像を浮かべてイメージしながら練習してきた。最初は自分の体を骨格標本のように思い射法八節の運行時に自分の骨がどのように動いているのかどの位置にあるのかをイメージする。その次にその骨を支える筋肉がどのように働いているのかを考えながら運行をイメージする。こうしたイメージは動作を考える時に非常に役立つ。むしろイメージをすることなく動作を考えることなど出来ない。

次に行うのは俯瞰する目だ。入場するところから退場するまで、自分の姿を第三者の目をもって俯瞰する。練習は先生の姿を頭に描きながら姿形動作を真似るように心がけるが同時にもう一人の自分がその姿を俯瞰する。この俯瞰する目によって自分の姿形を頭上からはもちろん前後左右から確認する。慣れてくると自分の周りを映画のカメラを動かしながら撮っているように見えるようになる。これは錯覚ではなく練習によって身に付く“俯瞰する目”で大切な事だと思っている。

もう一つは動作を翻訳する力だ。例えば私は習い始めてのころ大三からの弓手の運行を“おちょこを持った手でお酒をこぼさないように”と習った。このように動作を翻訳することでイメージは定着する。
例えば、引き分けに対して私は“台形の上辺と下辺を近づけるように”と説明する。正面打ち起こしでは大三で弓手手の内、馬手の手の内が完成する。そこから会へ納める運行が行われるが弓手と馬手では軌道が違うからその間に鳥刺しになったり矢先が早く的についたりする。水平方向ばかりではなく三重十文字との平行も崩れる。これを防ぐために私が使っているイメージが台形だ。この場合通常の台形を上下逆転させ両肩を結ぶ線を一辺、矢(筈から先も仮想の線を引く)を一辺として台形をイメージする。両肩から肘を抜けてゆく線が斜辺だ。この肩の線と矢の線(台形の上辺下辺)を台形をイメージしながら開いてくることによってなるべく近づけようとする(引きおろすのではない)のだが、このように引き分けてくると矢が水平に平行に引き分ける事が出来、口割についたときには的に付く結果となる。

さて、このようにイメージで引く事が大切だと考えているのだが、自分の課題“離れでの射形の乱れ”はどう直していったらいいのか長い間模索していた。矢筋を意識した離れとか残心の馬手の位置を意識した離れとか色々な事を工夫するが今一つ正かなものをつかめないでいる。
先日ふと思いついて三角形をイメージするようにしてみた。会で伸びた弓手は肩の線を通して馬手肘に抜け一本の線になる。ならばこれを正三角形の底辺と考え残心で弓手、馬手は三角形の二つの頂点で頭上にもう一つの頂点をイメージしてそこに頭を延ばすようにして離れる。練習で何回か試してみたが今のところ調子が良いようだ。
初心者の頃は弓手も馬手も手先で離れるのが多い。手先に力が入っているからでこれでは胸の中筋から分かれるように離れることは出来ない。練習が進むと矢筋に離れるということに意識が行くようになるが手先の力が残っているとこの矢筋も作為的なものでしかない。それでも外形的に綺麗に離れる事が出来るとある程度の段位までは昇段することが出来、中りもついてくるからなかなか手先の力の抜くことの大事に気が付かない。しかし手先の力が抜けて縦線から割れるように離れるようになるのは大事な事だ。だが手先の力が抜けていても私のように何処かの組み合わせが悪いために離れで体にぶれが起こったり馬手の飛びが狂い弓手にも悪さをすることになる場合がある。
今回三角形をイメージすることで、会と残心を面でとらえるようになった。手先の離れは点の離れ、矢筋の離れは線の離れだが、その点を三角形の頂点、線を三角形の辺とイメージすることで面として考える。線は簡単に動くが面はそれよりは歪みに強い。もちろん立体としてとらえればさらに強くなるのだろうが、それは今後の考察だ。今はこの三角形をイメージすることで離れのぶれを直す一歩としたい。

日曜日は私の支部が主催する大会だ。この大会で三角形の成果を出せるように試してみたい。

ではまた。

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春季大会第二弾

先日当地区の春季大会に参加した。先生の名を冠した大会で皆先生に見て頂きながら練習の成果を競うという和気あいあいとした中にも緊張感のある大会。中学生の部もあり150名を超す参加者だった。

この大会、基本は支部ごとに団体を組んで登録するのだが、団体を組めない人も個人として参加すれば運営の方で個人同士をうまく組み合わせて団体としての形をとってくれる。私も支部で三人揃えなかったので他の支部さんの女性が一人加わり混成チームとなった。今回この混成チームはすべて列車の名前が付いている。ななつ星やカシオペアなど列車好きにはほほえましいチーム名。私のチームは北斗星だ。

さて、今回の結果。

○✕○✕ ○○○○ ✕✕○○ ✕○○○  11/16  遠近競射 ✕  

練習で心がけている大きな離れをイメージして射位に立つが的中を求める気持ちが強くあるのを感じている。緊張はないものの先生に見られているとの気持ちもある。この射会の最も難しいところがこの先生の存在で皆先生の視線を意識しながら実力をどう出すのかに苦心する。

一立目、一本目は12時に中る。二本目は筈が緩く取懸けの途中で矢を落としてしまった。三本目は慎重に取懸け12時に中る。四本目は中てなくてはという気持ちが強く出て9時に外した。
二立目、くすねを中仕掛けに塗って緩めの筈でも滑らないようにした。三本目まで離れを意識しながら中ったが、四本目は中てなくてはと弓手の押しが強くなり馬手の離れは中途半端なものになってしまった。それでも6時に中り少しほっとする。
三立目、二立目と同様に皆中をつづければ上位入賞は狙えると思い立に入る。一本目的に向かって飛んでゆくが的の前で強風にあおられクランクしたように3時に外れた。矢勢が悪いわけではないが春の突風が舞う道場だ。二本目はその警戒もあって的の左側を狙ってみたら今度は8時に外してしまった。三本目、四本目は気を取り直して中てる。
四立目、場内のホワイトボードに入賞予定の的中数が書かれ出した。皆中すれば12中になるから競射でもなんとか10位以内に入ることが出来る。しかし10中ならば競射には残れない。そんな胸算用をしながら立つ。一本目、またしても風に邪魔されて3時に外れた。もう外すことは出来ない。強い気持ちで中てに行く。二本目、三本目は星近く、四本目は三時の的ふちに入る。

11中で遠近競射に残ることは出来たが同中が11人いて3人が通過だ。遠近競射に進むと星が開いている。丁寧な引き分けをして会に入るが6時に外れた。狙い過ぎたのだった。

大会が終わって先生の講話があった。今回は中りはまずまずだが、射の研究をするように特に弓手の手の内を勉強するようにとの話があった。これは当県の審査通過、特に高段者の話なのだがなかなか通過しないことを受けての話だ。自分に似た体格や引き方の人、上手な人の射を見てを研究するようにとの話があった。こうして先生の講話を頂きながら射会を楽しむ幸せ。私もますます精進しなければならない。
これから大会や審査などで忙しい日々が始まる。練習と成果を確認する大会の繰り返し。気合の抜けない日々だ。

ではまた。


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