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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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審査への練習

長い連休が明けて日常が戻ってきました。当地ではこの時期堰を切ったように地域の射会やお祭り射会が開催されますので、カレンダーには毎週の土曜、日曜日には何かしらの予定が書きこまれてゆきます。国体や選手権を目指す人は予選会もありますからさらにスケジュールは密になっていきますし、学生も中学・高校・大学とそれぞれ大きな大会があります。社会人にしても学生にしても練習と体調管理、そして家族の協力が無くては弓を楽しむ事はできません。

そして審査を受ける方は目指す審査に向けての練習もあるでしょうから、日常の練習、射会・競技会、審査とそれぞれに応じた意識の整え方というのも大切かもしれません。
審査を受けるということについてはこのブログでも何回か書いてきましたし、最近では弓仲間の審査に向けての練習を記事にしました。本来審査は自分の練習の成果、成長の様子を見て頂くものですから特別に審査に向けて普段と違った練習が必要かといったらそうではないと思っています。しかし道場の様子や自分の意識の整え方という意味ではやはり工夫が必要な場面も出てきます。

私は射形を見直すために審査を受けるのを止めていたことがあります。とても受けられる内容では無いと自分で気が付いたからでした。また審査が近づいている時期に地域の射会に出るのを止めていた事もあります。地域の射会ではどうしても中てて上位に入賞したいという気持ちになりますから、中て気の強い私は射形の崩れるのも構わず中てる事に一生懸命になってしまうからです。
最近では道場で練習し同じような気持ちで射会でも引けるかどうかを試しに行くといった意味で射会に参加していますが、先日の射会などではまだまだ中て気が出て反省するばかりです。

さて、普段の道場での練習では日々課題をもって練習に向かいます。今日はこれを意識して練習しようという課題を胸に納め練習しているのですが、一日三時間から四時間道場に居る間その気持ちを持ち続けていることは意外と難しいことです。弓や体が慣れて来て中りも続いてくるとせっかく意識していた課題がふっと忘れている事に気が付きます。仲間と一緒にいるとついつい中りに気がいってしまう事もあります。そんな自分の心の弱さ、隙間を知る事も練習のうちなのですが、休憩をとって練習のリズムを自分のものに取り戻す事も大切です。

私の道場では普段は四つ矢立射で練習をしています。私は断って最初の一手は入場から体配をつけて座射を行うようにしますが、その後は仲間と一緒の練習になります。最初の一手は自分の体の様子、呼吸、そして課題を自分に言い聞かせる一手としているのです。こうゆう場面でも仲間の協力が有り難いですね。
そして、一人練習になると自分の課題に集中するように努めます。時には一緒にいる人に見てもらって注意点を確認したりもします。弓道は自分の射を見る事が出来ません。鏡を見てという事もありますが、呼吸や意識を整えてゆきますから基本的には鏡を見ているわけにはいきません。高段者の方は自分で確認することもできるでしょうが、なるべくは先生や仲間の方に見ていただき、意見を求めたり確認をすることが望ましいと思います。

試合でも審査でも同じですが、意識を高めてゆくという事はとても大事な事です。普段の練習の成果を見てもらうのだからと書きましたが、審査を受けようと心に決めると一つ一つの練習にも集中力が増しますし、確りした練習をしようと気構えが働きます。この気持ちの整えが上達には必要なことで、胴着をきちんと着たり、弦やカケのメンテナンスをしたりという当たり前の事の一つ一つが練習の内容にも影響してくるのです。

私は審査を申し込むと同時にホテルを予約します。大抵は二か月半ほど前ですからこの時点で心は審査モードになります。といってもそれほど強く意識している訳ではありません。普段通り練習し、射を確認し組み立ててゆきます。一か月ぐらい前になると練習もだいぶ進み、自分なりに気を付けている部分が絞られてきます。そして審査二週間前には自分の中で、よしこれで行こうという射になるようにしていきます。もちろん審査用の特別な射という事ではありません。そうではなく、練習を通じて気が付いた事、注意する事、そんな事のいくつかのチェックポイントを明らかにして、審査当日もそれらを忘れないようにする。その確認が自分の中で整ってくるのです。そして審査までの二週間の練習ではそれらチェックポイントを一つ一つ忘れないように確認しながらの練習をし、意識しなくても自分のものになっているようにするのです。
せっかくの審査です。精一杯を引いて見ていただきたい。そんな思いで審査に向けての練習をしています。

それでも、審査の当日は何があるか分かりません。天候や体調、一緒の立になる方、図らずも思うような射が出来ないかも知れませんが少なくとも精一杯を引けば悔いは残らないのではないでしょうか。

あっ、それと私の場合、審査では必ず開催地での軽い観光や食事を楽しむ事にしています。せっかくですからお楽しみを欲しいですし、あまり審査だからと煮詰めないようにする為でもあります。そうゆう意味では臨時中央審査は開催地も色々で楽しむ事ができますね。

私の次の審査は七月。それまでどんな練習をしてゆくことになるのか、我ながら楽しみです。
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テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

砥鹿神社例大祭 奉納射会

GWもあと3日、先日の射会で弓仲間さんからお誘いを頂きましたので豊川市の砥鹿神社で行われる奉納射会に参加してきました。三河では流派を重んじたお祭り射会が盛んだと聞いていましたので、興味深々ですが、不作法があってはいけないとちょっと緊張しながらの参加です。

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本殿入口に入る手前に剣道と弓道を行える道場がありました。ご挨拶をして入ると普段お会いする弓友さんがいらっしゃって心強い感じ。そんなお仲間のいる控えに一緒に座らせていただきます。

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流鏑馬も行われるのでその準備も進められています。神馬も飾られてお披露目されていますが、この馬は流鏑馬で乗る馬ではありません。小柄でものすごく可愛い顔をしています。私は馬が好きですので触りたいくらい。

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日本一の大きさのさざれ石ということで、触るとご利益があるそうです。もちろん確り触ってお願いごとをお祈りします。

そんな境内散策をして戻ると受付が始まっていました。

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床の綺麗な道場は気持ちがいいですね。神社の弓道場は木々に囲まれて静かな落ち着いた空気が流れています。壁には金的を落とした人があげた額が飾られています。日置流印西派、大和流、日置流雪荷派といった流派の門人の方たちの名前が見られ大正時代までは読めたのですが、それより古いのは額が黒ずんでいて読み取れませんでした。最近のは日弓連何段と書かれたものもあります。

神社での奉納射会は金的を射落とすことから始まります。教えて頂いた話では金的は龍の目で榊や他の枝で的の上を飾るのは眉毛を表しているのだそうです。その金的を射落として厄払いをしお祭りが始まり、御神輿や山車が動き出す・・・。だから金的を射るのは大切な役目なのだとか。

その金的、五つかけられ順番に狙いますが、私も近いところで残念でした。甲矢では落ちなく、乙矢で私の手前女性の方が落として無事終了。一手五回の競射が始まります。
と思っていたら、控えにはオードブルが用意されて早くも休憩。お酒を飲みながら歓談。私も青年団が道場入口で用意している振る舞い酒を少しいただきます。

射会が再開。今日の私の成績は

✕✕ 〇〇 ✕〇 〇〇 〇〇 7/10 同中5位。 立順により順位を決めて7位でした。

最初の一手は振る舞い酒を言い訳にしますが、全然体が整わず射になってません。
次の一手はそれを反省して確り詰合を意識して束ります。

ここでお昼休憩。

三立目、甲矢は馬手の力が残っていて6時に外してしまいます。乙矢はそれを反省して中り。
四立目、五立目は一緒に控えにいた方が詰めてきていたので、負けられない気持ちで中てます。中て気が強いのは私の良いところでもあり悪いところでもありますが、中らなければ終わってから悔しさが残ります。

さて、二立目が終ったところで早くもお昼休憩。先ほどのオードブルといいお昼の助六寿司といい、弓道会さんが用意してくださった食事で十分。しかも弓仲間さんたちはおつまみとお酒持参で来ています。お祭り射会の楽しいところですね。

そのお昼休憩の合間に、先ほどの金的を中てた方を弓道会の方が神社に連れていって神主さんによりお祓いが行われます。

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神主さんによるお祓いが終ると、会長さんから金的を射手に返し、鏡餅や額を渡す儀式が行われます。
本来社の中なので写真はNGですが、記念なのでお許しください。

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この後横に置いてあった御神輿を皆で協力して神様の正面に移動させました。

そして道場に戻り射手の方は介添え役の方とともに道場にいる方々に「お褒めにあずかりました」と挨拶してご返礼のお酒をふるまって歩きます。

東京時代、金的は射会の後の余興のようにしかやったことが無く、当地に来てから射会の始まる前に神事の一つとして行われているのを知りました。地域によって違いはあるのかも知れませんが、こうゆうところにも日本の弓道の奥深さがあります。地域の射会はそうゆう文化に気づかせていただける場でもあるのです。

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射会の最後、景品とともにお札を頂きました。大黒様と恵比須様。とても嬉しいお札です。

久しぶりの本格的な神社の奉納射会。長い歴史を持った射会を現代の弓道会の方たちが守り繋げている。そんな素晴らしい射会に参加させていただき、私も気持ちの良い日を過ごさせていただきました。

有難うございます。




テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

平成最後の射会


平成最後の日曜日、同じ市の兄弟支部の射会、市長杯弓道大会に参加してきました。
最近この支部では若手の男子の活躍が目覚ましく、つい先日もある射会で団体優勝を納めています。今回はそんな中る人の肩を借りるというか勝負を挑む気持ちで参加しました。
ところが道場に着くとお目当ての彼らがいません。実は国体の二次予選に出ているということなのです。ちょっと肩透かしをくった感じでしたが、弓仲間さんが沢山いらしていますから射会を楽しむこととしましょう。

開会式の後、すぐ射会が始まりますが私の立は後ろの方なので矢取りや記録のお手伝いをしながら皆さんの射を楽しみます。中学生も来ていて一生懸命に引く姿は新鮮で気持ちがいいですね。春からの弓道教室にも中学生が何人か参加しているそうです。

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さて、私の立です。実業団で活躍する若手選手と一緒の立になりましたので、気分は選手モード。しかも私が大前なので気合が入ります。

今回の私の成績。
✕〇〇〇 〇〇〇〇 〇〇〇✕ 〇〇〇〇   14/16 優勝

一回目の立。選手モードの大前なんて言いながら一本目を5時の縁に外しました。心の中でご免なさいと謝りながら二本目からをしっかり入れます。
二回目の立。仲間の選手に一本目を入れようねと声をかけ、自分にもプレッシャーをかけます。射形にも気をつけながら引きますが中りも欲しい。自分との戦いがそこにあります。

午前中が終り、他に二人の人と同中で暫定一位です。しかしお昼ご飯を食べて射が変わるなんていうのはよくある事。気を引き締めてゆきます。余興の時間はご遠慮してお散歩して気を整えましょう。

三回目の立。仲間の選手とモチベーションをあげるため、三人で二桁の中りを目指そうと話します。そう言った手前私は外すわけにはいきません。最初から強い中りでいきましたが、四本目の矢を最後持ち切れず7時に外してしまいます。痛恨の外れです。
四回目の立。この時点で黒板に上位の人が書きだされています。13中の選手が一人いますから私は一本外せば同中の射詰め競射、二本外せば二位以下になります。つまり一本も外せないということ。そんなのを見ながら射場に入ります。
一本目から意識を強く中てていきます。ところが三本目が上の的ふちに中る音。矢も少し斜めのように見えます。もしかして縁外に中ってしまったかと心の中で思いそれでも四本目を中てれば射詰めだから絶対中てなければと思います。四本目は確り中りました。矢取に行くと看的の人が「中っているよ」と教えてくれました。思わずガッツポーズ!
この立は続く二人も頑張って4中、3中、3中と計10中、二桁の中りで終わる事が出来ました。普段から団体戦をやっている彼らですから具体的な目標をセットすれば結果を出せるのでしょう。

今回の射は射形を気にはしていましたが、やはり手の内に微妙な変化を感じたり、弓仲間さんから会が短くなっていると指摘を受けたり、練習で心がけているのとは違ってしまいました。それでも気持ちを強くして安定した中りを出す練習にはなったかと思います。
審査や自分の課題に向けての普段の練習、それを射会の場で実践できるのかを確認しますが、なかなか満足出来る事は少ないですね。

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会員さんが採って来た蕗や甘夏が景品に並び、お昼には浅利の味噌汁が出たりと会員の皆さんにより手作り感いっぱいの射会です。地域の射会はこうゆう仲間感が楽しいですね。

有難うございました。

この連休はお祭り射会も各地で開かれます。私はお誘いをいただきましたので、砥鹿神社の祭事での射会に参加する予定です。次回はその様子をお伝えしたく思っています。

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気を付ける事

文学者で武道家の内田樹(うちだたつる〉氏の本を読んでいて面白い文に出会ったのでそこを拠り所に少し書いてみたいと思う。

新年度が始まり、学校では新入学生が弓道部に入ることだろう。街の弓道場では弓道教室が開催され社会人を中心として初心者が弓道を習う。経験の浅い人もいれば初めて弓道に接する人もいる。多くの人が新しい世界に飛び込む不安や喜びに日々胸を躍らせることだろう。それは中学生や高校生であっても大人であっても変わりはない。
そして、弓道の世界に不安や期待を寄せる人たちを指導するのが経験者といわれる人たちだ。一般では教士や錬士といった称号を持った人たちが中心になり、四五段ぐらいの人が補助として新しい人たちをサポートする。学校では顧問の先生やコーチが中心になり、上級生が下級生を教えるという形で行われる。経験者が外部指導員という形で参加する場合もある。

ここで、どうゆう人に出会い指導を受けるのかでその人の弓道にたいする見方、その後の成長に大きな影響があると思うのだが、自分の過去を振り返ると私の先生はよく私なんかに付き合ってくれたものだと唯々有難く思い出すばかりだ。

ではどうゆう指導者と出合うのが良いのか。内田氏の文に次のようなのがある。

私たちは知性を計算するとき、その人の「真剣さ」や「情報量」や「現場経験」というものを勘定には入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるかを基準に判断する。(「古だぬきは戦争について語らない」より)

これを弓道の指導(他の事でもだが)にあててみると、熱心で一生懸命、知識豊富で尋ねるとすぐ色々なことを教えてくれる。試合でも良く中り技術やコツを教えてくれる。そうゆう人がイメージできる。習う方としては願ったりの先生と思うかもしれない。
だが、内田氏はそうではないと言う。自分を疑い、信じず、善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるかがその人の知性を測る鍵だという。なぜか。

例えば、初心者が練習を始める時、射法八節を一通り習い何回も練習して形を身に着けてゆく。当然疑問が浮かんだり上手く出来ない時もある。そうゆう時に熱心な先生は「こうやるんだ」「ああやるんだ」と一つ一つ指導するし、時には「余計な事は考えないで言われた通りにやりなさい」なんて言う人もいる。その延長線上に「俺の言う事だけ聞いていればいいんだ」になってゆく。熱心さ一生懸命も一歩間違えば独裁的指導になるのだ。
確かに教える方としては習う人が色んな声に耳を傾けあの人はこう言っていた、この本にはこう書いていたといわれると、今はそれはちょっと待ってと言いたくなる時もある。だが、教える側が決してやってはいけない事は好奇心、探究心を塞いだり、自分から学ぼう、知ろうという積極性を否定することだ。教えることを急ぎ自分が出来るそのままをやらせようとしてはいけない。
一生懸命や熱心なのは大事だが、本人が練習を通じて感じ分かるまで付き合う根気が必要だ。習う人も様々だ。習熟が遅い人は指導についてゆけず練習が苦痛になる人もいるだろう。頑張って言われたことをやろうとするあまり、自分の感覚を見失ってしまう人、言われないと何もできない人になってしまう場合もある。

指導者に知識豊富なのは大事だ。ただ私達は学べば学ぶほど世界が広がり自分の知識見識が足りない事に気が付き反省する。しかし、初心者に魅力的に映るのは何でも知っていて教えてくれる人だ。そうゆう人の話は自信に満ちて説得力がありその人の話が正解のように感じられる。知識も経験も浅い初心者には説得力のある話の裏に抜け落ちている真実が沢山ある事を見抜くことは容易ではない。カリスマ的宗教家やファシスト政権の独裁者の演説に簡単にのせられて騙されてゆくのと同じだ。教える方にそのつもりはなくても、自分は指導者だからという気負いが知識が豊富で質問には何でも答えなければという姿を演じさせてしまう場合もある。

そして最も迷惑なのが、内田氏のいう「自分の善意に紛れ込んでいる欲望」を教える側が意識出来ているかどうかだ。人は様々な欲望を抱えて生きている。指導者、先生と呼ばれて尊敬を得たいと思っていたり、知識や頭の良さを見せて感心を引きたいという思いや自分を高く評価してもらいたいという思いだったりする。集団の中で他人より良く思われ自分に関心を払ってもらいたいと思う人間もいるだろう。こうゆう思いは誰だって少しは持っているものだ。誰だって評価されないより評価されたいし、良く思われたい。ただ、それを自分自身のモチベーションにしていればよいのだ。
そして本当に知性のある人間というのは自分の中の欲望を知っていてきちんと整理し、他人との関わりの中で利用しない人間だ。
ところが、往々にして人は自分の欲望のはけ口を他人との関係性の中で見つける。偉そうな口をきいたり態度を取ったりというのは分かりやすい。人気を得ながら人を上手く動かして支配欲を満足させる人は手に負えない。密かに他人を貶めて自分を優位に持ってゆこうとする人間も恐ろしい。

だが、指導者、先生と呼ばれる立場に立たされると人間は役割を演じようとする。指導に熱心で一生懸命やる先生。色んな事を知っていて教えてくれる先生。周囲から尊敬される先生。どれもよく聞く誉め言葉だ。しかしその姿の裏側に大きな落とし穴がある事を知る人は少なく、気が付いた時には大切なものを失っている事になりかねない。

ではどうゆう指導者が良い先生と言えるのだろう。私はあえて自分の考えをここでは書かない。それは私の考えでしかない。これから弓道を習い楽しんでいただきたい初心者の方、その保護者、そして指導に携わる人それぞれが「本当の知性ある指導者とはどうゆう人なのか」を考えていただき、良い先生と習う人の関係を作っていって頂けたらと願っている。

最後に内田氏の文章からもう一つ紹介しよう。

芸道において、達人の域に達することはきわめて困難である。多くの修行者はその域に遠く及ばぬうちに生涯を終える。しかし、その至芸の域に達したときのおのれの体感をリアルに想像しえないものは、初心の修行にさえ、長く耐えることはできない。(「越境・他者・言語」より)

いかがだろう、芸道は弓道に置き換える事が出来る。私達は至芸の域を体の内にリアルに想像して練習しているだろうか、練習によほどの確信がなければ達人の域を想像するなどという事は言えない。内田氏は初心の頃から達人の域の体感を想像できなければ長い修行は出来ないと言っている。
私達は初心者の練習に際し、見取り稽古を通じてそれを想像しうる見本を示すことが出来ているだろうか。

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平成最後の審査の申し込み

今日、審査の申し込みをした。以前は審査の申し込み用紙は印刷されたものが支部にあり、支部長なり責任者に審査を受けたいのですと言って申し込み用紙を貰い書いたものだった。今はネットからダウンロードするから各自が自由に書くことが出来る。もちろん支部長の印が必要な段位もあるから、書いたものを担当者に渡して支部単位で地連(県連)に提出する。まぁ、受けたいという者をだめという支部長もいないだろうが、本来ならば、先生のほうから受けてごらんとお許しがあって、受けさせていただけるという世界。今昔の思いだ。
なんて書くと、お前はいつの時代の人間だとお叱りをうけそうだ。

昨日、練習していたらお仲間さんがとてもポジティブな話をしていて、私も少なからず刺激を受けた。私も気合を入れた練習をし意識した射を何本か現じたのだが、気持ちがとても明るくなってやる気が満ちてくる。そうゆう弓仲間は大切だ。

ということで、審査の申し込みを書こうと思った。
書いていて、申込書には平成となっているのに気が付いた。四月になったら新しい元号が発表になる。平成のうちに書いて出さなければ。と思った。

お気づきでしょう。元号が発表になっても改元するのは五月になってから。四月に出しても平成の印刷された申込書でいいのにね。早とちり、気の早い(早気ではありませんが)私らしい、勘違い。

でも出したからには覚悟して審査に臨みますよ。

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