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杣人yumi

Author:杣人yumi
弓道と楽しく向き合う杣人の弓道ブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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お土産

秋になり射会や講習会とスケジュール調整に忙しい。カレンダーに書いて、申し込み済みのチェックを入れていかないと、どの射会に申し込んだのかわからなくなる。
私のような地域の射会専門の弓引きでそうなのだから、全国レベルの大会に選手として活躍する人たちはさぞや大変なことだろうと思う。

今日、道場に行ったら国体に出場していた選手からお土産が届けられていた。

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一見、あれ愛媛に行ったはずなのに長崎のカステラ?と不思議に思う。
しかし箱にはしっかりと「四国名菓 タルト」と書かれている。亀井という老舗のお菓子のようだ。
手にとって箱を見ると、

「タルト」はポルトガル船によって長崎に伝えられし南蛮菓子なり。
松山藩主松平定行公が、長崎出島にてこの「タルト」を賞味され美味なる風味の製法を持帰りたるものなり。日本古来の小豆餡と合わせ愛食す。
今日まで老若男女を問わず好まれ伝えられたる伊予路郷土銘菓なり。

と書かれている。私は日本史に疎いから松平定行と言われてもすぐにはピンとこない。
そこで、検索してみると・・・。まぁ、疎い私が知ったようなことは書けません。
ただ、島津家からお嫁さんをもらい島原の乱には幕府方として鎮圧に出と九州とは深い縁があるようです。
なるほど、ポルトガルのお菓子もそんな折に食べたのでしょうか。
松山城の改修を行ったり、道後温泉を整備し武士や僧侶が入るお風呂、ご婦人が入るお風呂、男子が入るお風呂と区分けし、今の温泉施設の原型を作ったそうです。
夏目漱石も私も入った道後温泉。これは松平定行公に感謝しなければなりません。

さて、そんな感想を抱きながら一口お味見させていただきます。
しっかりした小豆餡にほのかにゆずの香りがついています。栗も入っています。そんな餡をカステラで巻いたお菓子。ロールケーキの小豆バージョン。美味しいです。

ご馳走さまでした。

昨日はねんりんピックに参加した人たちのお土産、燻りガッコやきりたんぽを模した餅菓子をいただきました。居ながらにして全国の銘菓をお土産に楽しめるのも仲間の弓人さんたちの活躍あってのもの。
地元組の私は精一杯応援させていただきます。

ではまた。




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テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

大頭龍神社の三段的

今日は菊川市の大頭龍神社で行われる三段的というお祭り弓に参加してきた。
享和元年(1801年)から行われているという由緒正しいものを土地の弓道会の人たちが守っている。

当地近隣の神社には「奉懸金的中」という額が掲げらているところが多い。神社祭事の際、金的を射て厄払いをするのだ。
詳しい話は私の任ではないので、興味のある方は「弓祭り」などを参考にしていただきたい。
東京で引いていた時は射会の最後、余興の一つとして金的を射たものだったが、当地の射会に参加して金的の意味を知ると小さな的の姿が全く違って見えてくる。

さて、三段的というのも当地ならではのものだろう。
もともと当地は家康により農民も弓を持つことを許された土地で弓が盛んだ。祭事の弓もあれば娯楽の賭け弓もある。三段的はどの位置にあるのだろう。以前郷土史家の話で一尺二寸の霞的は人間の胴体の幅、下の的が雑兵だとしたら中断の的は馬上の将、上段の的は櫓の上の兵を想定していると聞いたことがある。とすると祭事でも娯楽の弓でもなく戦のための実戦をイメージした練習矢場ということだ。
そんな三段的の射会を受け継ぎ伝えてくださっている弓道会の方達に感謝し射会を楽しもう。

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射場は大頭龍神社の隣、茶畑の広がる中にある。

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会員の方たちによって綺麗に整えられた三段的の垜は高さ4mほどあり、最上段には御幣が飾られている。

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矢渡しが行われ、続いて金的が始まる。私は金的が苦手であまり中ったことがない。そんなことを思いながら順番を待っていたら私の前の女性が一番金を中てた。的が付け替えられ少し大きめの金的に変わったが私はやはり中らないのが悔しい。

金的が終わり結果9人もの人が金を落とした。こうなれば三段的で活躍をしようと思うのだが、金的がうまく狙えなかったのが心に引っかかっている。練習のように引けば下段の霞的を外すことは考えにくいのだが、なんとその霞的をどすってしまった。

私の三段的の結果は

一の立 下段・中段  ×× ○○
二の立 上段・下段  ○○ ××
三の立 中断・上段  ×○ ○○   7/12  20位

一の立の下段は甲矢が3時に少し離れ、乙矢は4時にカチンと蹴られた。体が入っていないのだろう前矢になっている。
中段はしっかり狙って中てる。中段の的は下段より少し大きいのだが思っていたのより小さく感じる。その的を狙って中ったのはうれしい。
二の立は上段の的から。これもしっかり狙えば難しくない。遠的ほど遠くないから放物線は意識せず大きく離せば中る。的の大きさも尺二の4倍ぐらいの面積がある。上段の中りに気をよくして下段に臨んだが、甲矢は3時の的ふちに外れた。そこで狙いを少し深くしたら乙矢は9時の的ふち。3時と9時で的を挟んだ形。悔しい。しかしこれは外れても狙いを変えてはいけないという教えそのものだろう。目で見る狙いを変えるのではなく、体の入りを確認すれば中ったはずだ。
三の立は入賞を少し意識する。弓友さんの中りから皆中優勝者は予測が立つ。せめて入賞したいが他の人はどのくらいの中りだろうと思う。残った4本を中てるしかないのにそんなことを考えてしまうのが中てっ気の強い私の性だ。
案の定、中段の甲矢は少し力が残って6時に外した。悔しいが後の祭りだ。乙矢はしっかり中てる。上段の的もしっかり狙って確実に中てる。
悔しさの残る中りだが7中。入賞には微妙なところだろう。

結局優勝は国体選手のM女子。皆中。二位は11中のYさんと続き、8中までの人で遠近競射を行った。7中は競射をせず立順で決められた。早く来た人へのちょっとしたご褒美。

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射会の間じゅう、地元の高校生弓道部員が矢取り看的を行ってくれた。どこの射会でも見られる事だが高校生たちと指導されている先生に感謝する。お祭り射会だからお酒も入ってにぎやかな大人たちの中に混ざっているのだが、上手な大人の射を参考にしようと見ている高校生もいる。そうゆう高校生たちが成長するのは楽しみだ。

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神社では巫女さんたちの舞が奉納されたり、祝詞があげられたりしている。
ご朱印状をいただいている弓友さんが何人もいる。

弓では反省することも悔しがることもあった三段的であったが、神社に参拝したり弓友さんたちとの会話を楽しんだりと充実した一日だった。

主催してくださった弓道会の方々にお礼申し上げます。
ではまた。


テーマ : 弓道
ジャンル : スポーツ

月例会と紅白試合

中央支部の月例会に参加してきた。所属支部の月例会は6名だったが、こちらは40人を超える大所帯だ。しばらくぶりの参加で弓友さんたちと会えるのも嬉しい。
会費を払い弓を張っていると、大阪で教職員特別審査を受けてきた方が「受かりました!」と笑みを浮かべながら報告をしてくれる。よく中る一生懸命な方だから、頑張ったんだなとこちらも嬉しい。

月例会の開会式に道場に入ると賞品が沢山並んでいる。今月の担当者が頑張って皆になにかしら賞品が渡るように工夫してくれているのだ。

射会は一手礼射、四矢3回の的中制で行われた。

今日の結果。
礼射 ○○  競技 ○○○○ ×○○○ ×○○○  12/14 優勝。

礼射は落ち着いて引けたが、競技では矢どころが定まらない。一手目などは的ふちばかりだ。心構えとしては練習での反省をしながら結果を出そうとしているのだが、やはり弓手がぶれたりして納得のいく射にはなっていない。そんな悔しさを抱えながら射終わると結構な接戦だった。

二位以下は11中2人、10中1人、9中1人、8中5人と続いている。

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優勝賞品のメロンをいただいて御仕舞。

昼食後は担当者が企画した紅白試合。参加者を白組、紅組に分けて対抗戦を行う。人だけでなく的も紅白に二分している。

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紅白に分かれた的は右が赤、左が赤で一手づつ、的を付け替えて上が赤、下が赤で一手づつと公平になるように工夫されている。白組紅組それぞれ自分の色を狙い中ると1点入るが、相手の色に中ると相手に点が入るという方式。
試合は結構接戦で続き、矢が中るたびに拍手や歓声が飛び交い。相手チームの矢がこちらチームの色に中ると「ありがとう」なんて声もあがる。
こんな楽しい余興射会。今月の担当者が自分で考え付いたそうだ。いろいろな才能を持った会員がいると感心する。

結果は途中まで私のいた白組がリードしていたのだが、最後のグループでオウンゴールが利いて紅組の勝利となった。

月例会と楽ししい紅白試合。ありがとうございました。

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ジャンル : スポーツ

終戦記念日の道場

金曜日から連休を利用して道場に通っていた。テーマをもって練習するのはいつもの通りだ。

11日金曜日
練習をしていたら中学生のお嬢さんとお母さんの親子が練習に来た。熱心な親子でいつも一緒に練習をしている。お母さんは春に初段をとったがお嬢さんはまだ審査を受けていない。中学生だから色々なことに興味をもって自分を見つけてゆく時期だ。その一つに弓道があれば良いと思うのと同時に、弓道でのモチベーションも高めてもう少し深いところに取り組んでもらいたいとも思う。
お母さんは初段を受けるのをきっかけに胴着のほかに弦巻やかけも購入した。そこでお嬢さんにも私から弦巻とかけを差し上げることにした。弦巻は友人から貰ったもの、かけは三つかけで経験のためにヤフオクで買ったがサイズの合わないものだ。私は四つがけを使っている。「サイズが合うようだったらあげるよ」と言って渡したらちょうどよいという。
早速そのかけで的に向かうと違和感なく引いている。これは良かったと喜んだ。

初心者は道場の道具で練習を始めるが続ける意思が固まり、審査も受けだすようになると自分の道具を購入する。大抵は先輩が一緒に行って弓具店で買うことになるのだが、かけの場合新品は手に馴染んでくるまで使い難い。中りも悪くなるとかけのせいだと思ってしまう人もあるかもしれない。弓と矢は自分のものを買うのも良いが、かけは古いもので上手な人が使っていた癖のないものを貰い受けるのが良いだろう。

12日土曜日
月例会だったので朝から出かけ参加する。お盆休みで皆家族サービスなのか6名の参加。
私は先日の県支部対抗でふがいない内容だったので、心して臨んだ。監督から大きく引けば中るのだから外れた時は引き分けが小さくなっていると思えと指摘を受けていた。それを心に唱えながら引く。
結果は 
○×○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○  19/20  優勝
昨日かけを差し上げたお嬢さんも見ているとちゃんとかけが使えて、中っている。

13日日曜日
午後から出かけ監督に指摘を受けながら練習をする。弓手のブレを徹底して直す練習だがなかなかこれだというものがつかめない。先日の練習で弓手の力がすっかり抜けたのを経験しこの時は肘から先、手の内の形すらわからないくらい力が抜けていて良い感覚をつかめたと思っていたのだが、うまく再現ができない。
練習も終盤、手の力を抜くことに偏り体の開きが出来ていないことに気づき離れで体を割るように開くことを試す。監督もブレがないというし少し感触があったかと喜ぶ。

15日火曜日
朝から道場に行き垜に水をまき、的をかけ練習をする。前日が雨だったので練習をせず体を休めたが、日曜日の感触を確かめたかったのだった。ところが監督いわく体の開きがわざとらしく弓手が体から突っ込んだように見えるという。それでは駄目だ。
練習をしていたら先生がいらした。挨拶をすると、「県大会二人で出たんだって」と笑いながらおっしゃる。三人1チームのところ一人が急遽出られなくなり二人で出場したのだった。それでも予選は通過したいと思って張り切っていたのだがそれも叶わなかったのは自分たちの責任だ。
先生は「お盆なのに誰も来ないな」といつもの様に寂しそうにおっしゃりながらご自分の練習を始める。私は先生の背中を拝見しながら弓手を盗もうと目を凝らすが、先生の弓手は打ち起こしから全く形が変わらず力も見られない。離れでも少しも形が変わることがない。技を盗もうにも技が見えないのだ。

先生が私の射を見てくださっている。心の中で「私は今これをやっています」と唱えながら引くが上手くできたかなと思ったり、大失敗をしたりの練習だ。先生は「引き分けと残心で間がなかったら七段なんだけどな」なんて笑いながら仰る。離れが駄目だということだ。
先生のお話を伺いながらお茶をいただく。「教士受ける前に七段受けたらどうだ。昔はおおらかだったぞ。そのぐらいやって目立ってもいいぞ」なんて話が始まる。先生の言葉は厳しく温かい。六段を受かって報告したとき、「調子の良いうちに教士を受けろ」と仰るので「先生、今は六段とってから一年たたないと教士が受けられないんです」というと残念そうなつまらなそうな表情になる。私が六段に時間がかかったのではっぱをかけてくださっているのだろうと思っている。「先生、本気にして受けちゃいますよ」と私も苦笑いしながらお相手をする。
先生のお話は戦争の思い出に。特攻に出る先輩を見送るのがつらかった話。特攻に向かう飛行機から電信を受け信号が消えると突っ込んで亡くなっているという話。相撲が強かったので佐世保と横須賀の対抗試合に出、大分出身の国体選手に勝ち、お風呂に入りご馳走になった話。部隊に野立ちの弓道施設があり弓も沢山あり、ある士官が「俺がゆるすから引いていいぞ」と言われたが、弓の練習をしていたら殴られるのは必定なので引かなかったという話・・・。

終戦記念日の道場。先生のお話を伺いながら来年は多くの仲間と先生を囲んで練習したいと思った。


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道場でのマナー 3 教える事

前回の話で「道場では教えないのがマナーだ」と書いた。道場が修行の場で一人一人が自分の練習をし課題を乗り越えていく過程で自己を発見し再構築してゆく場と考えた時、他人が口出しすることは修行の妨げとなる事が多いことを思っての話だ。
道場では先生について習い、先生を写すことから練習は始まる。先生は弟子の練習過程を見て適宜指導をするが、基本は本人が壁にぶつかりながら乗り越える様を見守る。
もちろん信頼し合う仲間とはお互いに「見てください」とお願いして指摘してもらうこともあるだろう。だがそれも「今のはこう引いていたよ」と指摘はしても、どう直せこう引けと言う事は無く、後は指摘を受けて自分でどうするかを考え練習を進める。

そうは言っても公設の弓道場で教室から弓道を始めた初心者の方には周りの人がお手伝いをしてあげなくてはならない場合もあるだろう。私はそれまでも否定しているのではない。教室で教えてくださった先生がいつもいるわけでもない。そこで、今回は教える事について、特に初心者に教える事について私の考えを書いてみたい。

まず、教えるにあたって私が最も大切にするのは相手も人格を持った立派な人間であるという事を相互に確認することだ。これは年齢は関係ない。大人も中学生や高校生も同等だ。だから、私は必ず次のような事を話す。
弓道では範士や称号をもった高段者も初心者の人もやる事は同じだ。弓道では上手になるために特別なテクニックがある訳ではない。基本に徹し正しい弓道を実践しようとするだけだ。だから高段者の人も初心者の人も全く同等でそこに差はない。一生懸命向き合う初心者はいい加減な経験者よりよっぽど立派だ。両者に違いがあるとすれば、経験の深い人はその分正しい弓道、基本に向き合ってきた時間が多い。その努力の厚みは尊重し見習わなければならない。

弓道ではひとたび射位に立ったら、あなたは主人公だ。臆することなく堂々と弓を引けばよい。

この事を必ず伝えるようにしている。

実技では見る事の大事を伝える。「先生の射を写す」と先に書いたが弓道の練習はこれに尽きる。だが普段の練習では一緒に練習する仲間の射を見て問題点を見つけたり、良い点を見つけたりと何時も射を見て考える癖をつけるようにする。ただし、初心者は最初のうちどの射の何が良くて何が悪いのか分からない事も多い。そこで実際にやって見せることが大事になる。
例えば手の内を伝える時に取懸けから始めて離れ残心まで段階を追って解説をしながらやって見せる。さらには強く握ったらどうなるのかなど悪い例もやって見せてそこに理論の説明を加える。
私は指導をするときに、基本は何なのか、なぜそれが正しい射なのかを必ず理論をつけながらやって見せる。

時には私独自の言い方で指導するときもある。例えば四重十文字というのは三重十文字と大三での矢の平行をイメージした言葉だ。教本的に言うなら三重十文字と五重十文字の組み合わせがあるのだが、初心者には難しい。ならばせめても矢を平行にしながら(鳥刺しなどにならないように)引き分ける事の大事を伝えるために私が使う言葉が四重十文字だ。
又、「握りは握るな」とも良く言うし、カケは道具だから道具の使い方を学ばなければならないとも良く言う。

こういう風に独自の言い方で説明する時もあるが、あくまで基本に徹することしか伝えない。これには二つの理由がある。一つは何処まで行っても基本が大事で、何が基本かの探究とどのような状況でも基本が出来ることが武道の本意だからだ。もう一つの理由はどんな弓人にも必ず先生がいる。私がたまたま指導したからといってその初心者さんが先生にどう習っているかは分からない。先生なら成長過程を見守りながら指導が出来るが、スポットの私の指導が初心者さんの成長を枝葉に進めては申訳ない。だから基本に徹し幹の指導に徹する。また、私が教えた事で先生の教えと違う事を言っているように聞こえて初心者さんを混乱させてしまってはいけない。同じことを教えていてもかみ砕いて分かりやすくすることに努めている。

こうゆう例があった。
打ち起こしを説明していた時に「打ち起こすと同時に肩が下がるんだよ」と言ったら、「打ち起こしたら上がった肩を息を吐いて下げると習った」と言われた。私は「それは初心者の段階だね。」と言って、私の肩背中に手をあてて触らせながら打ち起こしをやって見せて実際に打ち起こすことで肩が下がる事を示した。
また、引き分けを説明していた時に「馬手を肩にしょうように引くって言われたんです」と言われた。大きく引くための伝統的な説明の仕方で、私もそう教えられた。ただし「しょうように引く」というのは正直なところ分かり難い表現である。私は心の中で古い先生に(悪い意味ではない)教えられたなと思いながら。引き分けの時は簡単に引き下ろすのではなく、大三から左右に押し開いて引いてくれば口割についた時に自然と詰め合が出来、的にも狙いがつく事を説明した。「しょうように引く」という事を否定するのではなく同じことを別のやり方で説明したのだった。

このように練習のやり取り、会話の中からその人がどうゆう指導を受けているのかを感知して、それを否定することなく、常に基本に立ちながら分かりやすい言葉で伝えることが大事だ。また理論と結果は両輪であるから、やって見せる時には必ず理論を説明してなぜこれが正しい射なのかを理解してもらうようにする。

さて最近特に気をつけていることが二つある。
一つは私たちは常に成長の過程にあるのだということ。例えば馬手の飛びなどは良い例だろう。自然の離れという言葉も言葉は素晴らしいがそれが実現するまでは意識下での練習があっての話だ。残心の形をしっかりイメージしてそれが出来るように意識して馬手を飛ばし練習する。意識して何回も練習し、意識しなくても自然に出来るようになるまで練習しなければならない。私たちはいつもその過程にあるのだ。
もう一つは体に触るということ。弓道は体を使った運動である。その指導の中では相手の体に触ることもある。流派によっては「弓をとって教える」という言い方もする。肩に触ったり腰の位置を直したり、大三の形を直したり・・・と弓道でも体に触ることはある。
上手な指導者はすっと触っただけでどのように筋肉や骨を使ったらよいのか射手が自然と分かるように触ることが出来る。会で左腕の下筋に軽く触れられただけで弓手が伸びるのを経験した人もあるだろう。引き分けで馬手肘にすっと触って方向を示唆することもある。上手な指導者は触るのも上手だ。ただし、最近はスポーツ指導の場面にもセクシャルハラスメントの指摘が聞かれるようになった。実際不届きな人もいるのだろうが、多くはそうではない。私は体に触る時は「肩に触るよ」とか声をかけるようにしている。またそう何回も触ったりしない。セクシャルハラスメントに関しては相互の人間関係が出来ていることが大事だが本人や周りにも誤解を与えないよう、きちんとした指導理念のもと体に触ったり触らせたりしなければならない。
ところで、時に触り方の下手な人がいる。引き分けて来ている時に両肩をがっちり抑えるように触ってくる人がいたが、強く触られると当然体は反発してしまうから余計な力が働いてしまう。時には筋を痛める結果になりかねない時もある。習う側としては難しいところもあるかも知れないが、「触らないでください」と言う事も大事だ。指導する側も良く注意しなければならない。

今回は道場のマナーとして「教える」という事について私の経験から書いてみた。もちろん足りないところも多いだろう。すべてを書く事は出来ない。
道場では一人一人が修行者であることを心に刻み、経験者であろうが初心者であろうが、真面目に取り組む人は皆同等に敬意をもって接しあわなければならない。だから教えるという時にも相手への敬意を忘れず、決して段位が上だから経験が長いからといって尊大になることなく、一緒に学ぶ仲間として向き合わなければならない。そうゆう意味ではパワーハラスメントなどは本来あるはずがない。

道場では教えたがらず、求められた時には拒むことなく、自分で考える余裕を残しながら教えるのがマナーだと思っている。
道場で一人一人が自分の弓道を探して練習をしている。その一人一人が仲間となってお互いを見、切磋琢磨して向上していく時間は本当に素晴らしく気持ちの良いものだ。練習の終わった爽快感、満足感は何事にも替えがたいもので弓人の誰しもが経験している。時に教え、指導にあたることがあっても、弓道で学ぶ人間に敬意をもつことを忘れてはならない。



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